北村匡平(東京科学大学教授・映画研究者)試行錯誤にこそ、書く歓びがある
7月×日 最近、エッセーをよく読む。AIが書いたような、綺麗だが誰のものでもない文章が溢れるいま、著者にしか語れない経験や、その人だけの世界の見え方に触れると、なんだかホッとする。人間の体温を感じたくてエッセーを手に取っているのかもしれない。
田村正資著「思考のストレッチ」(講談社 1760円)は、人生のさまざまな出来事を入り口に、思考をぐいぐい伸ばしていく1冊だ。著者は、「高校生クイズ」で優勝し、東大で哲学を学んで博士号を取得。現在は会社員として働きながら作家活動もしている。語り口はやわらかいが、社会を見る目は鋭い。
スキルを身につけ、多くの選択肢を持つことは安心につながるはずなのに、いつしか社会から求められる人間でいなければという強迫観念に変わる。そんな現代人のややこしさを、身近な経験から鮮やかにすくい上げる。
AIは論理の通った文章を一瞬で書く。だが完成品以上に大切なのは、作る過程で自分のなかに起こる変化だ、と著者はいう。苦しみ、迷い、書き直す。その試行錯誤にこそ、書く歓びがある。AIはその過程をすっぽりと取り除き、美しく整えてくれるが、書き手に劇的な変容はもたらさない。個別具体的な体験から普遍的な問題へと思考が伸び、あいまいな世界のことを、もう少し肯定し、愛してみたくなる。
7月×日 「椎名林檎論」に続いて「藤井風論」を連載していることもあり、音楽本にはつい手が伸びる。柴那典著「ヒットの復権」(中央公論新社 1155円)は、この10年の音楽産業の構造転換を一段高い視点からクリアに整理する本だ。音楽業界の話にとどまらず、世界の娯楽産業を動かす仕組みの輪郭が見えてくる。
我が愛しの藤井風のバイラル現象にも言及がある。彼が世界的なポップスターになったのは、アルゴリズムだけでなく、バズをオーセンティシティ(信頼性)へつなげる実像があったからだという。その指摘に強くうなずいた。2冊を続けて読むと、AI時代の「人間らしさ」に思いを巡らせずにはいられなかった。



















