佐野海舟〈前編〉何か話しけても「はい」「いいえ」「分かりました」…表情も変えずに淡々と(米子北高サッカー部総監督・城市徳之)
MF佐野海舟(ドイツ1部マインツ/25)
ドイツ1部でリーグ全試合に出場するタフネスさ、球際の戦い=デュエルでトップ級の数字を叩き出す回収力、そして機を見るに敏な攻撃参加でシュートを狙っていく──。森保ジャパンの中軸として初のW杯に臨む佐野の原点はどこにあったのか? 鳥取・米子北高で2000年から15年、監督としてサッカー部を強豪に育て上げ、16年から総監督を務める城市徳之・校長に聞いた──。
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──米子北高サッカー部に入部した経緯は?
「お隣の岡山・津山市に生まれ育った海舟は、中学まで地元のFCヴィバルテというクラブでプレーしていました。海舟のお父さんが、そのクラブのスタッフだったのですが、お父さん経由で学校側に練習参加の希望の連絡が入りました。我が校は年間を通してオープンスクールを実施して、入学希望者に学校の雰囲気や授業内容、部活動の様子を知ってもらうようにしているのですが、サッカー部も<練習会>を実施して入部者を募っています。海舟は、中学3年の秋口くらいの練習会に参加してくれました」
──その時から際立った存在感でしたか?
「その年は、夏までにおおよその入部予定者が決まり、海舟は<最後の方の入部枠>に入ったという形でした。もちろん当時は『岡山から有望選手が来るぞ!』と言われるような存在ではなく、あくまで練習会に参加した中学生のひとりでした」
──岡山県選抜に常に選ばれるような存在ではなく、Jクラブのユース入りを希望しても高い壁に阻まれるレベルだったようですが、最初にプレーを見た印象はどうでしたか?
「所属先のFCヴィバルテは技術重視のクラブだったこともあり、テクニカルな面は十分にありましたし、運動能力自体も高かった。中でも目を引いたのは、相手からボールを奪い取る能力が高かったこと。あとボールを保持している時、していない時の両方で<立ち姿がスッとしていた>ことです。とても姿勢の良いサッカー選手と思ったことを記憶しています」
──高校サッカー界の強豪校となった米子北高には、全国から入部希望者がやって来る。
「ありがたいことに全国から入部希望者が我が校の門を叩いてくれるようになりました。関東、関西など都市圏出身の入部者も多いです。海舟の出身地である津山市は、岡山県のほぼ中央エリアなので県外の出身者といっても、鳥取に近いところからやってきた選手ということになります」
──米子北高は、全国の舞台で残してきた実績と較べて、設備面の充実はまだまだのようです。
「我が校のサッカー部にやって来る中学生は、世代のトップレベルの選手が集まってくるわけではありませんが、相当の覚悟を持ってやってくる子ばかりです。たとえば練習場ですが、今でも土のグラウンドでやっています。近くに人工芝を完備した練習施設があり、定期的に利用させていただいてはいるのですが、基本的にはいつも土のグラウンドで汗を流しています。ハード面では全国のサッカー強豪校と較べるまでもなく、遅れているというのが実情です。しかしながら、もちろん海舟もそうなのですが、与えられた環境の中で研鑽努力を積み、選手個々がレベルアップを図ってチーム力を向上させていく──という強い気持ちを持ちながらサッカーと向き合っています。この強い覚悟が、全国で結果を残せるようになった秘訣のひとつと思います」
「海舟と航大は、真逆のキャラクター」
──佐野はどんなキャラクターなのでしょうか。
「ひとつの言葉で表現するとしたら<寡黙>でしょうか。とにかく喋らない子です。何か話し掛けてもはい、いいえ、分かりました……と表情も変えずに淡々と返すくらいで会話が弾むようなタイプではなかったですね。それは、今も変わっていないと思いますが、言葉少なくとも行動やプレーで示すタイプだと思います。海舟の3学年下の弟・航大(22=岡山を経て23年8月からNECナイメヘン/オランダ1部)もお兄ちゃんの後を追って入ってきたのですが、小学生だった航大に初めて会った時、よく喋る子だなぁ~、明るくて賑やかな子だなぁ~と思いましたね。海舟と航大は、真逆のキャラクターです」
──総じてサッカー部員は元気というか、やんちゃ系も少なくない。
「担任の先生から『大人しくて落ち着いている生徒です』と聞かされたことがあります。あまりに口数が少なくてもの静かなので『へぇ~佐野君ってサッカーが上手なんですね』とびっくりしていましたね。たとえば海舟の8学年上で2018年ロシアW杯に出場したサッカー部OBのDF昌子源(33=町田。鹿島、トゥールーズ/フランス1部、G大阪でプレー)は本当に面白く、元気な子でした。たくさん叱りましたね(笑)」
──佐野は寮生活だったのですか?
「今は学校の敷地内に寮がありますが、海舟は本校まで自転車で10分ほど離れた寮に住んでいました。馴れない寮生活だったとは思いますが、オフ・ザ・ピッチでも物静かな海舟に関しては生活も落ち着いており、心配は皆無でした」
──佐野は1年からトップチームに入りました。
「入学してすぐにトップチームに入れてプレーさせました。その時の3年生は技術的に優れた選手が多く、すごく期待していた年代でした。3年生の持ち味をより生かそうと思い、守備能力の高い海舟をボランチとして起用しました。1年夏の高校総体(広島)で<ボールを奪って近くの味方に確実にパスを渡す>という役割を担い、大きな戦力になってくれました。プレースタイルは、今の日本代表・佐野海舟とまったく同じです。読みも鋭いし、相手との間合いを作るのもセンスがある。単発ではなく、連続してボールを奪っていく。どうして海舟はあんなにボールを奪うのが上手いのだろうか? と何度も何度も思わされました」(【後編】につづく)
(聞き手=絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽佐野海舟(さの・かいしゅう) 2000年12月30日生まれ、25歳。岡山・津山市出身。小~中は地元クラブのFCヴィバルテでプレーした。鳥取・米子北高在学中の3年間、全国高校サッカー選手権と全国高校総体に出場。高校を卒業した19年に当時J2の町田に加入。23年にJ1の鹿島に引き抜かれた。24年夏にドイツ1部マインツに完全移籍。欧州でもデュエル勝利数、インターセプト数、走行距離などでトップ級の数字を残している。昨シーズン、今シーズンと連続して全試合先発出場を達成した。
▽城市徳之(じょういち・のりゆき) 1967年5月14日、59歳。鳥取・米子市出身。米子西高から大阪体育大に進んで在学中、関西学生リーグ優勝を経験。鳥取県少年、成年の国体選手としても活躍。卒業後に米子北高サッカー部のコーチ。2000年から監督として采配をふるい、09年には元日本代表DF昌子源(町田)を擁して高校総体準優勝。16年にコーチの中村真吾が監督となって以降、総監督という立場でチーム関わっている。25年4月に米子北高の校長に就任した。


















