鈴木彩艶〈前編〉恩師が語る“根っからのレッズの子”の素顔と飛躍の原点(浦和ジュニアユース・ユース元監督・工藤輝央)
GK鈴木彩艶(イタリア1部パルマ/23歳)
1998年フランス大会から過去7回のW杯で日本代表のゴールマウスを守ったのは、川口能活(磐田GKコーチ)、楢崎正剛(名古屋GKコーチ)、川島永嗣(磐田)、権田修一(神戸)の4人だけ。その系譜に名を連ねようとしているのが、23歳の若き守護神・鈴木彩艶だ。彼を小学校時代からトップに至るまで、長きにわたって指導した浦和ジュニアユース、ユースの元監督・工藤輝央氏(現浦和レッズレディースSD)に聞いた。
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──工藤さんは読売(現東京ヴェルディ)のユース出身で、2000年から指導に携わっています。鈴木彩艶選手との出会いから教えてください。
「出会いは小学校3年。彼は浦和トップチームの練習場がある大原の近くに住んでいて、お兄ちゃんと来たのが最初です。『キーパーが大好きな子だな』という印象でしたが、そこまで飛び抜けた身体能力があるわけじゃなかった。今みたいに世界で活躍するとは考えてもみなかったです」
──彼は小5から浦和ジュニアに入ります。
「ちょうどジュニアができるタイミングで、会った後にセレクションを受けてもらい、当時の練習拠点である大原に通うようになりました。当時のトップチームはミシャ(ペトロヴィッチ監督=現名古屋)が指揮を執っていた時期。ギシさん(山岸範宏=U-16日本代表GKコーチ)や順大(加藤=JFL鈴鹿コーチ)、その後には周作(西川)も入ってきて、彩艶はすごく可愛がられていましたね。順大からスパイクやグローブをもらったりして、すごく嬉しそうにしていたのをよく覚えています。根っからのレッズの子だと思います」
──工藤さんは当時からジュニアユース、ユース、トップと全てのカテゴリーで関わりました。
「そうですね。それは本当に偶然です(笑)。長い時間の中で転機があったとすれば、まず浦和レッズのジュニアができたこと。それがなければ、彩艶が浦和に入ってくることもなかったと思います。2つ目は中1から中2にかけて練習を間引いた時期があったこと。身長を伸ばすことをメインに考えて、週に1、2回しか練習をさせなかったんです」


















