サウナで震度6の余震…避難しようにも「全裸だからすぐには…」と妙に冷静だった
2011年3月11日に起きた東日本大震災。楽天がチームとして仙台へ帰ることができたのは、地震から20日以上が経った4月7日だった。
東北新幹線は一部で運行が再開できず、仙台空港も津波の影響で機能停止。甲子園での練習を終えると、大阪の伊丹空港から山形空港に行き、そこからはバスで仙台市内に入った。
車窓からは、変わり果てた東北の姿。目に映るのは黒色のみ。それが「景色」とは到底言えなかった。船が田んぼに乗り上げ、車はそこら中に転がっていた。その車の状態を見て、目を疑った。
まるでおしぼりのようにねじれていたのだ。津波で何度も流され、押し戻されを繰り返したことで、頑丈な車がおしぼりのようにねじれてしまう。人間なんてあっという間に持って行かれてしまうんだろうな……と、津波の威力の凄まじさを痛感した。バスの中では誰もしゃべらない。みんな無言で窓の外を見つめるしかなかった。
仙台へ着いた日の夜は星野仙一監督や田淵幸一さん(当時一軍ヘッドコーチ)らが仙台市内の中学校を訪問。選手たち27人は翌朝、3グループに分かれて各地を慰問することになっていた。


















