鈴木誠也はいかにして私の想像を超える選手になったのか? 取り掛かりは“後遺症”の修正だった
内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第15回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者だからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係──。
今回は広島時代の鈴木誠也について綴られた、内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第15回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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広島で21年間、指導者を務めた話をしよう。
私の想像を超える選手になってきたのが、広島、侍ジャパンでも4番を張る鈴木誠也である。
私が広島の二軍監督だった2013年、ドラフト2位で入ってきた。まず感じたのは素材の素晴らしさ。遠くに飛ばすというより、強い打球が打てる。高卒の野手では前田智徳の新人の時に似ていた。
しかし、入団当初は高校時代に使用していた金属バットの影響が残っていた。右手の力が強く、スイングの軌道が「アウトサイドイン」になっていた。木製バットの「しなり」をうまく使えるようにするため、誠也には体に正対させるようにネットを立てて、その間にスタンドティーを置いて打たせた。アウトサイドインの軌道では、バットがネットに当たってしまう。ネットに当たらないよう、インサイドアウトで振るには、体をこするように右肘を畳まなければならない。最初はバットのヘッドが寝ない高い位置にボールを置き、それを徐々に低い位置に下げていく。これをしつこくやった。


















