大リーグで本当にあった「監督」と「アナウンサー」のトレード…翌年にはコーチ8人による“監督輪番制”
ウィリアムズの全盛時代、この年は打率、本塁打、打点でいずれもリーグ2位の最強打者だった。この守備陣形は「ブードローシフト」と呼ばれ、のちに日本でも王貞治の強打に対して広島が参考にした。そう、「王シフト」である。
オーナーのリグレーの気まぐれは、終わってみれば60勝94敗のナ・リーグ7位(当時8球団)で首位パイレーツから35ゲーム差だった。これであきらめるオーナーではなかった。翌61年はブードロー(54勝83敗)をラジオ局に戻すと、グリムをチームに引き戻した。そのうえ、専任監督を置かずに8人のコーチが順番に指揮を執る“監督輪番制”という手を編み出した。グリムはコーチのひとりでしかなかった。この年も7位だったが、「前年よりマシ」とリグレー。反省のない人物だった。
ブードローを「チームの至宝」として扱ったのはインディアンス。彼の背番号「5」を永久欠番としている。70年には殿堂入り。のちにバスケットボールNBAのシカゴ・ブルズ戦のマイクも握った。
片やグリムも名のある野球人で、監督としてカブス時代には3度のワールドシリーズ出場の実績を持ち、ブードローとともに1000勝監督グループのひとりである。



















