本城雅人
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本城雅人作家

1965年、神奈川県生まれ。明治学院大学卒。スポーツ新聞の記者を経て09年「ノーバディノウズ」(第1回サムライジャパン野球文学賞)でデビュー。17年「ミッドナイト・ジャーナル」で第38回吉川英治文学新人賞を受賞。著書に「紙の城」「監督の問題」など多数。

連載<4> 終わったから帰れなんて、勝手だなぁ

公開日: 更新日:

 投球法の違いを説明すると、由貴子は「なるほどそういう理由があるのね」と納得した。

「その高校の監督はなにがなんでも春のセンバツに出たいんだろうな。甲子園のようにテレビ中継されればスローで確認できるけど、秋季大会の頃は口コミでしか情報が入らない。スライダーをフォークと言っとけば、関東大会で戦う相手は戸惑うと思ってんだよ」

 翔馬も高校で関東大会に出ているので分かる。対戦したことのない他県の高校は、聞いていた情報と実際に戦うのとではまったく違っていて、対応しきれないまま一回戦で敗退してしまった。一つでも勝っていれば甲子園出場の可能性だってあったというのに……。

「そっか、フォークとスライダーではボールが手元に来るまでに時差が出るんだね。さすが翔くんだ」

 四年間マネージャーをしていただけあって、由貴子は飲み込みが早い。

「だけどキコ、それくらい東都スポーツの野球記者なら常識だぞ。俺なんかに聞かず、自分とこの先輩に聞けよ」

「いいじゃん。だって翔くんに聞いた方が分かりやすいんだもの」

 そう言われても嬉しくはなかった。

 そもそも他社とはいえ、同じスポーツ新聞だというのに、由貴子は希望通り記者になり、翔馬は販売に回された。記者ならスクープで他紙に勝つ事ができるが、販売部員にできることといえばライバル紙の梱包を解く時間を遅らせ、売り上げ部数を減らすことくらい。自分の仕事があまりにせこくて、惨めな気持ちになる。

「ねえ、翔ちゃん、今度の休み、映画観に行こうよ。『AI』観たいって言ってたじゃん」

 当初は、即売に行かされたのは研修の一環で、九月から編集部に異動になるとの噂があった。なのに翔馬に声はかからなかった。

「映画はいいわ。二時間集中する自信ない」

「それなら、智絵の新しい彼氏と四人でご飯食べるっていうプランはどう? 智絵も彼氏を私たちに紹介したいみたいだし」

「嫌だよ。だいたい俺、智絵の彼氏なんて興味ないし」

 智絵というのは今はOLをしている由貴子の親友で、何度か三人で会ったことがある。

 ――笠間くん、あんた、キコの気持ち分かってんでしょ? だったら返事してあげなよ。

 大学時代に何度もお節介を焼かれたことがあるので、翔馬は苦手にしている。

「キコ、明日も仕事なんだろ、もう帰ったら」天井を向いたまま言った。

「なに、それ。来いって言うから来たのに」

「疲れてんだよ。今週残業続きで」

 今週は終電に四回乗った。残る一日はその終電も逃してタクシーで帰った。販売はタクシー帰りが認められていないので自腹になる。

 翔馬が担当する即売は、毎日、駅の売店やコンビニに営業に回り、その後は返品される新聞の数をまとめて、取次店と相談して配置部数を決める。売れ残りもまずいが、少なくして早く売り切れてしまうのはもったいないので、調整は簡単ではない。すべての担当店を終えるとだいたい終電近くになってしまうのだ。

「私だって毎日深夜帰りだよ」

 由貴子はそう言うが、記者にはタクシーチケットを渡されていて、遅くなればタクシーで帰れるらしい。

「したからもう帰れなんて、翔くんは、勝手だなぁ」

 頬を膨らませた。自分でも勝手な男だと思う。ただいくら翔馬が冷たく振舞っても、由貴子は少し拗ねる程度で、けっして怒ったりはしない。おかげで翔馬は余計に素直になれないのだ。
(つづく)

【連載】連載小説「奪還」 本城雅人

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