著者のコラム一覧
ショーファー佐野作家

ケネディ暗殺の翌年である1965年、アメリカ合衆国テキサス州ダラスに生まれる。早稲田大学理工学部を卒業後、有名総合商社に勤務するも、早々に退職。輸入時計販売業を始める。一期一会を噛みしめながら、一本、一本丹念に販売実績を積み上げてきた。輸入時計を通じて広げた人脈には成り上がり、強者もいれば、化け物もいる。猛者たちとの対峙が己の人生を形作ってきたと考え、本書「高級時計 千夜一夜物語」を書き下ろした。

第2話:全部なくなっちゃったよ…

公開日: 更新日:

 ベスト4が決した夜に安西氏から電話が鳴った。
「しゃーちょー、凄いわ、全勝じゃん」
「たまたまです」
「スコアまで、ほぼ当たってたよ」
 瀬上氏の見立てに驚きつつ、
「それは良かったです」
「それで儲かっちゃたんだよ」
「どういうことですか?」
「わかってるよねぇ?」
「いや、私には分かりかねますが……」
「堅いなァ。でもそういうところ、好きだぜ。ということで、今回は予想的中記念でもう1本買うよ。今回は116509メテオにしようかなぁ」
「イエローのデイトナに続いてホワイトも? しかもメテオライトですか」
「おうよ」
 今日も聞き取りづらいが、コミュニケーションは保てている。
 メテオライトとは隕石のことである。
 独特な網目模様が特徴、ROLEXにおいても高額モデルの文字盤に採用されるケースが多い。116509はホワイトゴールド無垢のデイトナである。
「それとさぁ、俺のママにカルティエのデクラレーションもあげたいんだわ」
「デクラレーションですか?」
 デクラレーションはケースを上下する8本リングによって時計部分が見え隠れするモデルで、カルティエとしては遊び心のある攻めたモデルではあるが、傍流のモデルであり、パンテール、タンク、サントス、パシャなどの人気モデルとは一線を画している。
「サプライズでね、サプライズ」
「サプライズですか、素晴らしいです」
 安西氏との会話においては復唱する習慣がついている。
「愛の告白」というモデル名の時計をサプライズで「俺のママ」にプレゼントするということは実際にはまだ「俺の」ママにはなっていないのかも知れないな、と余計なことを考えていた。
「で、さぁ、今度は納品の時に会おうよぉ、社長のお陰でこの2本買えるわけだしさぁ。俺のママのお店で会おうよぉ」
「私のおかげではなく、安西さんのお力です」
「俺はランボルギーニでママのお店に行くからさぁ」
 と、脈絡のない付け足しをする。
 私はいかにして安西氏に会わずして、振込入金、発送という最短のプロセスで取引を完結させるかを考えていた。
「弊社も少人数でやっているので、私が会社を空けることがなかなか出来ないんですよ」
「なんとかならないかぁ?」
「いやぁ……それはそうと安西さん格闘技はお好きですか?」
 と、話をすり替えてみる。
「大好き、大好き、すごく好き。なんで?」
「ご購入頂いた商品にボビー・パワーのサインを同封させて頂こうかと」
「えっ⁈ なんでそんなことが出来るの?」
「ついでに to JOEと宛名も添えてもらって」
「まじかぁ?! 俺、丈一郎だから、そう、ジョーって呼ばれてるんだよ!」
 声が掠れまくり、恐らくはこう言ったのだと思うし、かなり喜んでいるようだ。
「はい」
 ちょうど大きな格闘技の大会で来日しているボビー・パワーに会うことになっている。
 前回来日の際に受注した「恐竜の牙のペンダントトップ」を今回の来日時に納品することになっている。
 ボビーは私の要望に快諾してくれるはずだ。
 結果的には前振込みで代金を回収し、ボビー・パワーのサインを同梱し郵送により取引を終えることが出来た。
 安西氏は、時計はもとより、宛名付きのボビー・パワーのサインに興奮気味で礼の電話を入れて来たが、もはや何を言っているかを聞き取ることも出来ず、適当に相槌を打って返した。

 その後、安西氏に会うことはなく取引もこれが最後となった。

 それから一体どれくらいの期間が経ってからだろうか。

 1年は経っていなかったと思うが、安西氏から電話が入った。
 いつもの掠れ声に、あるいは涙ぐんでいるのか、さらに呂律も回っていない。
「安西さん?」
「全部さぁ……全部なくなっちゃったよぉ……ママもいなくなっちゃったよぉ……」
「安西さん?」
「……」
「安西さん? どうされました?」
 そのまま電話は切れた。
 掛け直そうかとも思ったが、折り返すことはしなかった。
 その後安西氏から連絡が来ることもない。

 便りがないのは良い知らせ、とも思えない。
 時折、新聞や雑誌紙面に物騒な記事が躍る。
「ドンパチ」が激しい様相を呈している。
 繁華街に転がる遺体。海に浮かぶ遺体。時には全ての指が失われていたり……。

【連載】小説「高級時計 千夜一夜物語」

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