甲子園では"怪童"尾崎行雄に4打席凡退、ほとんど直球だけど打てなかった
前身となる阪急軍から数え、来年で球団創設90周年を迎える阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜公開 ※次回は1月8日)
◇ ◇ ◇
瀬戸内海に面した愛媛県西条市大谷。反骨の野球人・森本潔はこの地で生まれた。
「小学校に入る前から、近所の原っぱで大人に混じって草野球をやっていた。野球全盛の時代だからね。兄貴が三人いてね、農家の末っ子だった」
「俺の特徴は肩だけは強かった。足の速さは普通だけど。俺らの時代はショートが花形だったからね。自慢の肩を見せようと最初はショートをやった。適性とかは考えずにね」
中学生になると、森本は松山商業への進学を希望するようになった。
「その噂を聞きつけた同学年の野球部員が俺の家に来てね、『森本、俺と一緒に西条高校で野球をやろう』と言うんだ」


















