ジャンボ尾崎の功罪 ゴルフ界を沸かせた裏で黙殺された“ルール無視”
日本ゴルフ界の「至宝」と呼ばれた大スターは功罪相半ばするものだった。
史上最多のプロ通算113勝の男子プロゴルファー尾崎将司さん(本名・尾崎正司)が23日、S状結腸がんのため亡くなった。享年78。
徳島県立海南高時代にエースとして1964年の春の選抜甲子園大会で優勝。西鉄(現西武)ライオンズに入団するも芽が出ず、68年の現役引退後にプロゴルファーに転身した。180センチ超の長身と野球仕込みのパワーで圧倒的な飛距離を誇り、「ジャンボ」の愛称で青木功、中嶋常幸とともにAON時代を築いた。
海外の4大メジャーは89年全米オープン6位が最高位だったが、国内では無双を誇り、賞金王12回、2018年に「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を設立するなど、晩年は若手の指導に尽力した。原英莉花、西郷真央、笹生優花、佐久間朱莉らを覚醒させた尾崎さんがS状結腸がんのステージ4と診断されたのは1年前。本人の意志により治療はせず、自宅療養を続けていた。
関係者が言う。
「今年は自身のゴルフアカデミーのセレクションも欠席し、マスコミの取材も断ってきた。残された時間が少ないことを悟り、故郷にお墓も作っていたそうです。教え子が日米ツアーで大活躍した今年、安心して天国へ行ったのではないか」
尾崎さんのプロ入り当初から見てきたゴルフジャーナリストの菅野徳雄氏が言う。


















