「アラビアのロレンス」ラヌルフ・ファインズ著、小林政子訳
「アラビアのロレンス」ラヌルフ・ファインズ著、小林政子訳
1963年に日本で公開された映画「アラビアのロレンス」と同年に刊行された中野好夫の岩波新書「アラビアのロレンス改訂版」(旧版は40年)、この2つで日本人のT・E・ロレンスに対するイメージが決定づけられた。その後、ロレンスの回顧録「知恵の七柱」が翻訳され、アラブ側から見たロレンスに対する批判も現れ、単なるアラブ人のオスマン帝国からの独立運動を支援した「現代の英雄」というイメージは改変されてきたが、この偶像化はロレンスが生きていた頃から世界に広まっていたもので、このことにロレンス本人は耐えきれなかったということが本書で書かれている。
ロレンスは非嫡出子という出自、同性愛的傾向などもあって幼い頃から実に複雑な性格の人間であり、現在のパレスチナ問題につながる、中東情勢をめぐる当時の複雑な政治的状況も若きロレンスの肩に重くのしかかっていたことが本書には描かれている。なにより、著者自身、60年代にイギリス陸軍からオマーン国軍に派遣され、現地で偵察隊を率いたという経験を持ち、砂漠、北極や南極に挑んできた「存命中の冒険家では最も偉大」とされる冒険家であることが本書をほかの評伝にはない独自のものとしている。ことに砂漠を行軍するロレンス一行の過酷な旅の模様が極めてリアルに伝わってくる。また、よそ者であるヨーロッパ人が現地のアラブ人といかにコミュニケーションを取っていくかというロレンスの苦労が、自らの経験と重ね合わせながら語られていく。
映画でも触れられていたが、トルコ軍将校によって性的陵辱を受けたこと、そして結果的にアラブに対する裏切りに手を貸したことが、その後のロレンスの心を深く蝕んだことも著者は明らかにしていく。しかし、それはありきたりの偶像破壊ではなく、ロレンスを血肉を持ったヒーローとして再び我々の前に登場させたものである。 〈狸〉
(国書刊行会 3960円)