「謎とき 村上春樹」河合俊雄著
「謎とき 村上春樹」河合俊雄著
「1Q84」では、首都高から階段を下りると異世界に入り込んだり、「ダンス・ダンス・ダンス」では、エレベーターで16階へ上がるとそこには異次元の世界が開けていたりと、村上春樹の作品はさまざまな謎に満ちている。それでも、それらの謎が物語としてなんとなく意味をなしているように思えてしまうので読み進めていくことができる。この村上作品における謎を、臨床心理学者の著者は夢に似ているという。夢では覚醒時とは全く異なった世界が展開され、死んだはずの人が生きていたり空を飛べたりする。しかしそれは不思議ではあっても意味がないことではなく、その人の無意識や未知の可能性を示してもいる。本書は村上春樹の作品を夢のように内在的に理解し、謎解きをするという試みだ。
となれば、心理療法における夢分析の手法が駆使されると思うところだが、村上作品は心理学的解釈がなじまないのだという。というのも、深層心理学は無意識を重視しながらも、あくまでも自我や意識を前提としているのだが、村上の小説の登場人物の多くは近代的自我とは無縁だからだ。そこで著者が導入するのは、プレモダン、モダン、ポストモダンという3つの時代層。例えば、夏目漱石の「三四郎」では、主人公が女性に対してプレモダンの意識から脱していかに近代的自我を確立するかの苦悩を描いているのに対し、村上の「スプートニクの恋人」では自我や自尊心などとは無関係に女性と身体的な交わりを持つ。これはまさにポストモダンの意識の典型であり、現代におけるこころのあり方を示している。それゆえ、村上作品は日本だけでなく海外でも多くの共感を呼んでいるのだ。
本書は「1Q84」をはじめ、「ねじまき鳥クロニクル」「騎士団長殺し」「街とその不確かな壁」など多くの作品に言及されていて、そこここに仕掛けられた謎を説く醍醐味を堪能できる。 〈狸〉
(新潮社 1980円)