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平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

「シモキタ・ロフト」がなかったら今のサザンはなかった

公開日: 更新日:

 ロックに青春を捧げた男の生きざまは、何十年経っても変わらない。

   ☆ ☆ ☆   

大森「今から10年くらい前、いろんなことがあった時に悠さんが『トークライブ、やらないか?』って声をかけてくれた」

平野「ター坊が音楽を続けていると聞いて『素晴らしい』と思った。トークライブの話は流れたけど、フェイスブックもつながったし、一度ター坊のバンドを聴いてみたくなった。それで(系列の)下北沢シェルターでライブをやらない? ってメールしたんだよね。そもそも、宮崎から東京に出てきたのは18歳の時?」

大森「そう。青学入学をきっかけにね」

平野「それは口実? バンドをやりたくて東京に出てきたんでしょ?」

大森「そうそう。で、ライブハウスでバイトするのが一番だと思った。レコード会社やプロミュージシャンとのコネもつくれるし、ライブもタダで見られる。青学のひとつ上の先輩がシモキタ・ロフトで働いていて、店長の(佐藤)弘さんを紹介してくれたんだよ。それで1976年から働きだした。歩いて帰れる池ノ上駅(下北沢駅のひとつ渋谷駅寄り)にアパートを借りてさ。当時の悠さんは怖かったよぉ~」

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