【特別寄稿】笑福亭仁鶴さん追悼秘話「私の仁鶴師匠」
NGK(なんばグランド花月)ができてから仁鶴師匠は阪神・巨人さんと楽屋が同室になることが多く、打ち合わせに伺うと「頑張って書きや」「よう来んな、(劇場に)住んでんのんちゃうか?」と声をかけてくださいました。ある日いつものように楽屋に行くと阪神・巨人さんがおらず、出ていこうとすると「まぁ座りいな。時間あんねやろ」と初めて仁鶴師匠と一対一でお話をすることに……。「なんぼ(何歳)になんのん?」「何年書いてはんのん?」「(お笑いの)仕事は面白いですか?」と業界の大先輩、大師匠が時に丁寧語を交えながら話される。私の知る限り、声を荒らげた仁鶴師匠を一度も見たことはありません。話しているうちに読書家だった師匠の化粧前(鏡の前)に置いてあった本の中に政治系の月刊誌があったので「それ、僕も読んでます」と思わず口にすると「自分(君)こんなん読んでんのん? 作家にも右(保守)がいてんねんな。そうかいな」とそこから政治談議です。
■殺人的スケジュールで移動にヘリ、チャーター機
以降、楽屋でお会いすると手招きされて「まぁ座り、今の内閣の方針どない思う?」「外国に対する姿勢はおかしいと思うけどどうや?」といつも政治の話をされました。合間には、大阪の舞台後に東京で番組収録、その足で札幌へ向かい、また大阪に戻って番組を収録して東京へ行くというような“殺人的スケジュール”や、忙しすぎて今どこで仕事をしているのかわからなくなっていたことなど超売れっ子時代の話も。移動にヘリコプターやチャーター機を利用したのは「僕が最初違うかな」と言いながら「ほんまに吉本ちゅうとこはむちゃしよりますわ」と懐かしそうに語っていました。