芸能界の“ドン”渡辺晋に詰め寄った小柳ルミ子マネジャー(上)"二度の奇跡"はこうして起きた

公開日: 更新日:

 人気は魔物だ。芸能界でスターの座に上り詰めるほど難しいことはない。それ以上に、一度売上を落とした歌手の復活は困難を極める。そんな奇跡を二度も成し遂げた人物がいる。近年は無類のサッカー好きとしても話題を呼んでいる小柳ルミ子(70)である。

 昭和46年のデビュー曲『わたしの城下町』でいきなりミリオンセラーを達成し、オリコンシングル売上の年間1位に輝いた彼女も、デビュー6年目から下降線を辿っていく。昭和49年3月から約11年間、渡辺プロダクションで小柳のマネジャーを務めた森弘明氏はどのように復活の手助けをしたのかーー。(全2回の1回目)※敬称略、名前や肩書きは当時

 ◇  ◇  ◇

〈このメールを受け取って泣きました〉

 今年7月2日、古希を迎えた小柳はブログに感激を綴った。差出人は森氏だった。

「古希のお祝いと激励をしました。私のマネジャー生活で最も長かったのが小柳ですから、当然誕生日も覚えていますし、彼女が元気だと私もうれしい。もう一度、なにかの賞を取るくらい頑張ってほしい」

■宝塚で断トツの成績を残した小柳

 沢田研二の在籍したザ・タイガースやアグネス・チャンの担当を経て、森氏は昭和49年3月から小柳のマネジャーになった。

「彼女は芸事に関して、天性の素質を持っている。最初、梓みちよさんの母親の紹介で渡辺プロを訪れた時、渡辺晋社長に『宝塚で1番になってから来なさい』と言われたらしいんです。そしたら、本当にトップの成績を残した。しかも、2番に圧倒的な大差をつけての1位ですよ。努力家だし、勘がいいんです」

 芸能界は、実力がなければ通用しない。一方で、実力が必ずしも人気に比例するとは限らない。デビュー6年目を迎えた頃、小柳もその魔力に吸い込まれていく。昭和51年、『恋岬』で初めて売上が10万枚を割り、『夾竹桃は赤い花』は1.2万枚と低迷。『逢いたくて北国へ』が17.9万枚と盛り返し、なんとか紅白歌合戦出場に漕ぎつけたものの、彼女は岐路に立っていた。

「昭和52年の始めにフジテレビの『火曜ワイドスペシャル』で『スター作詞作曲大賞』という企画があり、小柳は事務所の先輩であるハナ肇さん作詞、谷啓さん作曲の歌を歌いました。その番組で、由紀さおりさんの歌った曲が素晴らしかった。作詞は関口宏さん、作曲は出門英さんで『八重山哀歌』という歌でした。すぐにレコード会社のディレクターに『次のシングルはこの歌にしよう』と提案しました。小柳もすごく気に入って、絶対に歌いたいと意気込んでいました」

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高画質は必要ない? 民放各社が撤退検討と報じられた「BS4K」はなぜ失敗したのですか?

  2. 2

    「二股不倫」永野芽郁の“第3の男”か? 坂口健太郎の業界評…さらに「別の男」が出てくる可能性は

  3. 3

    気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った 

  4. 4

    U18日本代表がパナマ撃破で決勝進出!やっぱり横浜高はスゴかった

  5. 5

    坂口健太郎に永野芽郁との「過去の交際」発覚…“好感度俳優”イメージダウン避けられず

  1. 6

    大手家電量販店の創業家がトップに君臨する功罪…ビック、ノジマに続きヨドバシも下請法違反

  2. 7

    板野友美からますます遠ざかる“野球選手の良妻”イメージ…豪華自宅とセレブ妻ぶり猛烈アピール

  3. 8

    日本ハム・レイエスはどれだけ打っても「メジャー復帰絶望」のワケ

  4. 9

    広陵暴力問題の闇…名門大学の推薦取り消し相次ぎ、中井監督の母校・大商大が「落ち穂拾い」

  5. 10

    自民党総裁選の“本命”小泉進次郎氏に「不出馬説」が流れた背景