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スージー鈴木音楽評論家

1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」「大人のブルーハーツ」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。日刊ゲンダイの好評連載をまとめた最新刊「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」(日刊現代/講談社)が絶賛発売中。ラジオDJとしても活躍。

80~85年の沢田研二には、歌謡曲に限らずロックもニューミュージックも敵だった

公開日: 更新日:

1980-1985年の沢田研二とは何だったのか①

 ついに100回。連載もラスト3回残すのみ。

沢田研二1980-1985」最大の功績は、まずは「ロックと歌謡曲の融合」だろう。

 1980年当時、まだ「ニューミュージック」という言葉があった。「ビートルズ吉田拓郎の影響を受けた、戦後生まれの若者による自作自演音楽」ぐらいの意味だ。深夜ラジオで広まり、ライブとアルバムの販売で稼ぐロックやフォーク。

 そんなニューミュージックが仮想敵とした、オールドメディアならぬオールド音楽は歌謡曲だ(演歌含む)。職業作家が作り、主にテレビの歌番組で広まり、シングル盤を売るビジネスモデルの音楽。

 これら2つのジャンルの中間に新市場をつくったのが沢田研二だった。

 ただ、この「ロックと歌謡曲の融合」という、沢田研二に対してよく用いられる言葉は、彼の巨大な功績を、十分表していないのではないかとも考えるのだ。いや、表してはいるのだが、捉え方が少し雑というか。

 歌謡界に向けては「いつまでも男が女を振って、女がヨヨヨと泣き崩れて酒をあおるとかじゃなくて、もっとかっこいいこと、新しいことをやろうぜ」と、沢田研二は突き付けた。あと「歌謡曲だって、職業作家に任せずに、自分で曲を作ってもいいじゃないか」とも(今回紹介したシングル19曲のうち、沢田研二が作曲もしくは作詞に関わったのは7曲にのぼる)。

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