藤山寛美さんがNGKのオープンに白のスーツで表敬訪問で楽屋が大騒ぎに
現在のNGK・なんばグランド花月が開業した1987年の11月、道頓堀の中座から、藤山寛美先生が松竹新喜劇の座員一同を引き連れてNGKまで林正之助元会長を表敬訪問されたことがありました。
上下白のスーツに身を包んだ寛美一行がNGKの正面玄関から列をなして入っていく姿は「藤山寛美、吉本へ討ち入り!」とスポーツ紙や夕刊紙に報じられました。偶然NGKの楽屋にいた私は、姿こそ見ることはできませんでしたが、「寛美先生が来はった!」と楽屋が大騒ぎになったことを覚えています。
当時は吉本と松竹の芸人は同じテレビに出ない、舞台に立たないという“不文律”がありました。テレビを見ても明らかでしたから、関西人にとっては常識に近い感覚です。
60~70年代は中田ダイマル・ラケット(70年吉本へ移籍)や、かしまし娘らの人気者が松竹の角座で輝いておられました。一方、吉本でも60年代後半から笑福亭仁鶴を筆頭に、桂三枝(現6代文枝)、横山やすし・西川きよしと次々に人気者が現れ、80年代に巻き起こった「漫才ブーム」で、松竹と吉本が完全に逆転してしまったのかなと思っています。