藤山寛美さんの豪快なお金の使い方 入院中の月亭八方を見舞いアタッシェに1000万円
「昭和の爆笑王」「喜劇王」──松竹新喜劇の大看板だった藤山寛美さん。40年以上も前の話になりますが、1度だけご挨拶をさせていただきました。
ある放送局のテレビのプロデューサーのAさんに「本多君は寛美さんと会ったことはあるの?」と聞かれ、寛美先生の楽屋に連れていかれました。
中から「どうぞ、お入りやす」という声が。「阪神巨人君とかいくよくるよちゃんの漫才台本書いてる本多君いう新人です。どこでお世話になるかわかりませんから、紹介だけしとこと思いまして」。Aさんに促され、私はガチガチになりながら、直角になるほど頭を下げました。「そうですか。初めまして藤山寛美でございます。よろしゅうにお頼みしときます。へ~え、漫才書いてはりますのん? むずかしいもんでっしゃろな。お芝居は書かはりませんのん?」「漫才だけです」「これから先、書かはるようにならはるかもしれませんし、その時はお世話になるようなこともあるかもしれませんから、ひとつよろしゅうお願い致します」と、大スターが若造だった私に和室の広い楽屋で額を畳にこすりつけんばかりに深く頭を下げられ、物腰の低さと謙虚さに恐縮すると共に驚かされました。