藤山寛美さんがNGKのオープンに白のスーツで表敬訪問で楽屋が大騒ぎに
私も「こういうものなんだ」と思っていただけでしたが、後日「両社に所属する芸人は共演させない」という協定が90年代まであったことを知りました。それでも芸人同士は道頓堀と梅田・なんばという小さなエリアですから、飲みに行けば偶然会うこともあるし、仲良く杯をくみかわしていたようで、会社に関係なく、私の知る限り良好な関係でした。
私の吉本新喜劇の師匠で作家の檀上茂先生は「ワシは吉本に入って何年目やったか忘れたけど『松竹新喜劇の勉強してこい』言われて、1年間、吉本から給料もろて、松竹に通てたことがあって、ぎょうさん教えてもうたで」と伺って驚いたことがありました。舞台やテレビでは共演NGでも、水面下では交流があったのです。「せやから、松竹と吉本の新喜劇のメンバーが一緒になって中座で公演するんがワシの夢やな。寛美さんもそんなことを考えてはったんちがうかな……」と語っていました。
寛美先生の“討ち入り”はそんな松竹・吉本の不文律に切り込んだ出来事でした。あくまで表敬訪問ですから、挨拶だけですが、NGKのオープンを世間に広めたことは確かで、NGKに祝花を出すよりも一番の宣伝になったでしょう。寛美先生は「松竹や吉本やいう枠にとらわれんと一緒に大阪の、上方の喜劇界、演芸界を盛り上げたらよろしいがな」と行動されたのではないかと思っています。
60歳という若さでこの世を去られましたが、私の年代の関西人にとっては忘れられない名優・藤山寛美。まさに喜劇の王様でした。