元労働大臣・山口敏夫氏 2信組破綻事件を振り返る
バブルの崩壊に伴い、1994年に東京協和信用組合と安全信用組合の2信用組合が経営破綻に陥った。元理事らの逮捕後、捜査の過程で罪に問われたのが元労働大臣の山口敏夫氏(77)。「政界の牛若丸」なんて呼ばれたこともあったが、2006年に懲役3年6月の実刑が確定。釈放後の16年には東京都知事選にも出馬した。
「転落した自覚がないんだけど、滑って転んだくらい。バブル経済の崩壊という日本の戦後史の大きな事件の中で、私自身がこういう役をふり当てられたんだなというそんな気分で、大きなショックだとか、悲観的な捉え方は当時も今もないですよ」
内需拡大の大号令がかかっていた80年代の半ばに労働大臣を務め、経済通として知られた渡辺美智雄元副総理の右腕として政策の中心にいた。
「三重野日銀総裁(当時)が打ちだしたバラまき政策で、“お金の使い方ゲーム”みたいな時代が2~3年続いた。私はこの“狂乱時代”を入り口から知っていて、政策実行者でもある。いよいよ崩壊となったときも、事態を終結すべく、与党の調査メンバーの中心として、バブル経済の追跡をしていました」