「愛知県の田舎で生まれた私は、高校時代に物理倶楽部に所属するほどの物理好き。そのため、同郷の東京理科大学初代学長・本多光太郎先生は憧れの存在でした。家業は農家で、ちょうど高校卒業の年に父親が亡くなり、生活するのがやっとの状態でしたから、高校を卒業後、1年間働いて資金を貯め、東京理… 
                
                                                    
                                
                                                        
                                                    
                                
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