日産自動車では、東京大卒の「都会のエリート」が多く入社し、お互いに責任をなすり付け合う官僚的企業文化が醸成された。その影響もあり、倒産寸前に陥っても抜本的な改革が先送りされた。1999年、そこに筆頭株主となった仏ルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン氏が大ナタを振るった。
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