東郷和彦氏「世界は『ウクライナの正義』か『一刻も早い和平』かで揺れている」
東郷和彦(元外務省欧亜局長、静岡県立大客員教授)
ロシアのウクライナ侵攻を機に、北欧の伝統的な中立国だったフィンランドとスウェーデンがNATO(北大西洋条約機構)への加盟を申請した。NATOのさらなる拡大は欧州の安全保障環境にどう影響するのか。そして、どうしたら「プーチンの戦争」を終わらせられるのか。旧ソ連時代からロシアをウオッチしてきた元外交官は、いまこそ対話が重要と説く。
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──フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請をどう見ますか。
ウクライナのことがあって、欧州には一種の集団的な恐怖感シェアリングが起きてしまっている。戦闘の映像を毎日見せられたら、国民がおびえます。リーダーはそれにある程度対応せざるを得なくなる。加盟申請は単純な結果でしょう。しかし、戦略的に本当にNATOに入らないとロシアに攻められるのかというと、僕はロシアが攻める理由はないと思う。
■カリーニングラードが着火点になる恐れ
──ロシア側の受け止めは?
両国の加盟がロシアにとって直ちに脅威にあたることはないと思います。脅威の中核はむしろもっと南。ポーランドもあるし、ウクライナを含めこれからどうなるか、という話です。ただし、ひとつ着火点がある。ロシア領の飛び地・カリーニングラード州です。ここへアクセスするには、ベラルーシとリトアニア経由で入ります。リトアニアは今月18日からEUの制裁対象の貨物を積んだロシアの列車の通過を禁止しました。もしリトアニアがカリーニングラードへのアクセスを完全に閉じるようなことになれば、ロシアは力でもってリトアニアに攻め込みますよ。リトアニアはNATO加盟国ですから、第3次世界大戦になるのはほぼ確実です。今のNATOもそこは分かっていると思いますが、戦争の震源地が1つここにあるということは知っておいてよいと思います。
──ロシアのウクライナ侵攻の結果、NATOへの求心力が高まっています。それが世界にとっていいことなのかどうか。
歴史をよく見る必要があります。冷戦終結後、ワルシャワ条約機構の解体と同時にNATOもなくなるとロシアは思っていた。しかし東欧諸国がロシアは信用できないとして、NATOの存続とNATOへの加盟を求めました。ただ、当時のエリツィン大統領が今後は民主主義と市場経済を国の存立理念にするとしていたので、当時のクリントン米政権はロシアと対抗するのは得策ではないと考えた。そこでNATOとロシアを結びつける1997年のファウンディング・アクト(NATO・ロシア基本文書)ができました。
──どんな内容ですか。
キーワードは「Russia is not an enemy(ロシアは敵じゃない)」です。具体的には「平和のためのパートナーシップ」をつくった。NATOに加盟したい国の権利は認める一方で、個々の参加プロセスにおいて、加盟のタイミングなど、ロシアの状況を十分配慮する、というものです。僕はちょうどモスクワの大使館の次席公使から本省の欧亜局審議官に戻ったころで、そのプロセスをずっと見ていましたが、東欧諸国もロシアもみなハッピーで明るかった。そこが原点。もともとのプーチンの立場は、この1997年に戻って、もう一度ロシアを尊敬される国として欧州の中核に迎え入れてくれ、というものでした。
■プーチンの本音は尊敬される国として欧州の中核に戻ることだった
──しかし、NATOはロシアの意に反してどんどん東方拡大する。ジョージアとウクライナの加盟にも同意し、ロシアが激怒した。
はい。ロシアとNATOの関係を再構築するには、地政学的に両者のちょうど真ん中にあるウクライナがカギでした。ウクライナがNATOに入らずに架け橋として中立化すること、ウクライナのクリミアやドンバスに住んでいるロシア人意識の強い人たちを大事にすることの2つが必須でした。それ以上は基本的に求めていなかったと、僕は確信しています。ところが、そのどちらもやらないのなら、武力を使ってでも実現させようとして、ロシアは大失敗した。冷戦後の秩序の中で縮こまらせられたロシアを、もう少し大きな国として認めてもらい、欧州の中核に仲良く戻ることがプーチンの本音であり目的だったのに、いまや欧州に新しい鉄壁の線ができてしまった。