【金丸脱税事件】異聞(12)失地回復を考えていた五十嵐特捜部長。「俺はついてる」
国税庁の野村興児査察部長と石井道遠査察課長が持ち込んだ日債銀作成の1枚紙。それを見た石川は、金丸側が政治資金規正法違反か、所得税法違反(脱税)に問われる可能性のある重要証拠だとすぐ理解した。政治資金規正法の規制主体は多くの場合、秘書や後援会関係者が務める会計責任者で、政治家本人を訴追するには共謀の立証などさまざまな隘路があった。脱税事件の方が捜査としては筋がよかった。
「上層部と相談するから待ってて」
石川は2人を執務室に残し、次長検事の土肥孝治と検事総長の岡村泰孝に紙を見せた。石川に全幅の信頼を寄せていた2人は「脱税で立件するしかありません」との石川の説明にうなづいた。
20分もたたずに戻ってきた石川は、野村らに「地検の五十嵐特捜部長に連絡しておくので、彼と話をしてほしい」と告げた。検察と国税当局が組織を挙げ金丸脱税の捜査・調査に取り組むことが事実上決まった瞬間だった。
翌日の1993年1月20日、野村と石井は五十嵐に会い、同じ一枚紙を渡した。五十嵐は「すごいの、もってきましたね。至急検討させていただきます」と応じた。努めて冷静を装ったが、「俺はついてる」と身震いするような興奮を覚えていた。
特捜部が金丸の5億円闇献金を、金丸本人の取り調べをせず20万円の罰金で処分したことで検察批判が吹き荒れていた。部長である五十嵐は、罰金処分については当時の法律上の制約からそれ以外の選択はないと考えていたが、結果として検察が国民から批判を受けることになった責任を痛感していた。
特捜部らしいインパクトのある事件を摘発して失地回復したいと考えていたが、異動の時期が迫り、焦り始めた矢先だった。五十嵐は極秘で副部長の横田尤孝を補佐役に起用、東京国税局査察部から経理分析のプロの応援を得て特別チームを編成。自らも資料を分析し、金丸脱税立件に向け走り始めた。