(3)宮澤喜一は英文雑誌が原因で竹下登を怒らせた
「だから素人には任せられない」と竹下を批判
竹下が大蔵大臣だった1985年(昭和60年)、ドル高を是正する「プラザ合意」が行われた。安い円を背景に輸出を伸ばしてきた日本にとって、これは大打撃となった。
このとき、自民党の総務会長だった宮澤は、竹下のことを「だから素人には任せられない」と批判し、竹下の耳にも入っていた。
その他にも気質の違いのようなものがあった。
「僕が宮澤さんのことをお願いに行くと、竹下さんは笑い出しながら、『清二君、君が宮澤君を推すのは分かるがね、俺だって、元は中学校の英語の教師だよ。その俺に会いに来るのに、彼はいつも英語の雑誌を小脇に抱えてやってくる。それはないだろう』と話し始めた。そのとき『宮澤さんはまたやったな』と正直思いましたよ。だってそれじゃ、宮澤さんが無意識でも、受け取る方の竹下さんは、心穏やかではない。でも、それじゃ話が始まりませんから、『そんなことはないですよ。たまたまじゃないですか。宮澤さんは竹下さんのことを尊敬しています』と頑張りました。竹下さんは苦笑しながら『ま、それはいいけどね。プラザ合意の一件だって聞いているんだからね』と言っていましたね」
この話を聞いた清二は、すぐに宮澤の事務所に行った。
「僕は宮澤さんに、『竹下さんに会うときには英文の雑誌は持っていかない方がいい』と意見したのです。すると彼は、『英文雑誌しか読みませんから』と顔色ひとつ変えることなく言い放った。そのとき、『この人は総理にはなれないな』と思った。だから、いまから思うと、よく総理大臣になれたなと思います」
(松崎隆司/ジャーナリスト)
※2012年10月11日に掲載した記事を再編集しています。



















