<第5回>出場確実だった2年のセンバツは辞退。3年夏は…
そんな連絡だったのとちゃうかな。その無線をNHKがキャッチしたらしい。
野球部員はトラブルについては何も知らなかった。俺は翌日、いつものように朝6時に大阪城の周りをランニングして家に戻った。テレビで7時のNHKニュースが始まると、「北陽高校で傷害事件」って出たからビックリよ。
学校へ行くと、とりあえず野球部は1週間練習休みになった。これはうれしかったね。初めてやからな、そんなに長いこと練習しなくていいのは。でも、喜んだのは1日か2日のこと。北陽は選抜出場が決まる前に高野連に辞退を申し入れた。
そらショックやし、がっかりもしたけど、俺は前年の夏に甲子園出てたからな。この一件で新2年生約200人のうち、30人ぐらいが退部した。レギュラーも数人辞めたな。野球部の不祥事ではないのにそんな時代やった。
3年の夏はチャンスだった。この年の大阪は、明星と近大付属の実力が抜けていた。甲子園に行けるとは思ってなかった。俺はやっぱりエースで4番よ。興国との決勝戦はゲーム中盤まで0-0。七回表、2死二、三塁のピンチを迎えた時、ベンチから「歩かせ」のサインが出た。次の8番打者は3割打ってるが、9番は1割打者やったからな。