著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

23年W杯招致に照準 女子サッカー.WEリーグの狙いと課題

公開日: 更新日:

 日本開催が決まれば、新型コロナウイルスからの復興W杯になる可能性もあるだろう。

 筆者が初めて女子サッカーを取材したのは、専門誌サッカーダイジェストで働くようになった1981年9月、日本で初めて開催された女子サッカーの国際大会「ポートピア'81 国際女子サッカー」だった。これは神戸で開催された地方博覧会「神戸ポートアイランド博覧会」の開催を記念しての大会だった。

 イタリア、イングランド、デンマークの3カ国を招待し、日本は神戸・中央球技場(現ノエビアスタジアム神戸)でイングランドと、東京・西が丘サッカー場(現味の素フィールド西が丘)でイタリアと対戦した。

 結果はイングランドに0ー4、イタリアには0ー9というスコアで完敗した。特にイタリアにはビニョットというストライカーがおり、圧倒的なスピードで日本選手を圧倒。テクニックもあって「女クライフ」のニックネームはダテではないと感心させられた。

 試合は「完敗」以前の内容で、日本女子サッカーの黎明期を支えた彼女たちには申し訳ないが、まさしく「大人と子供の違い」と言えた。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希に向けられる“疑いの目”…逃げ癖ついたロッテ時代はチーム内で信頼されず

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    注目集まる「キャスター」後の永野芽郁の俳優人生…テレビ局が起用しづらい「業界内の暗黙ルール」とは

  4. 4

    柳田悠岐の戦線復帰に球団内外で「微妙な温度差」…ソフトBは決して歓迎ムードだけじゃない

  5. 5

    女子学院から東大文Ⅲに進んだ膳場貴子が“進振り”で医学部を目指したナゾ

  1. 6

    大阪万博“唯一の目玉”水上ショーもはや再開不能…レジオネラ菌が指針値の20倍から約50倍に!

  2. 7

    ローラの「田植え」素足だけでないもう1つのトバッチリ…“パソナ案件”ジローラモと同列扱いに

  3. 8

    ヤクルト高津監督「途中休養Xデー」が話題だが…球団関係者から聞こえる「意外な展望」

  4. 9

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  5. 10

    備蓄米報道でも連日登場…スーパー「アキダイ」はなぜテレビ局から重宝される?