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飯田 哲也元ヤクルトスワローズ

1968年5月、東京都調布市生まれ。千葉県の拓大紅陵高を経て、86年ドラフト4位で捕手としてヤクルト入団。日本一と称された中堅守備と俊足を生かした打撃でヤクルト黄金期を支えた。2006年に楽天で引退。07~13年はヤクルトで、15年から昨季までソフトバンクでコーチを務めた。現役通算1505試合で1248安打、363打点、48本塁打、234盗塁、打率・273。ゴールデングラブ賞7回(91~97年)、92年盗塁王。日本シリーズ優秀選手賞2回(92、93年)。

外野手の完全な油断で達成した2本のランニングホームラン

公開日: 更新日:

 野村克也監督が采配を振る1990年から、僕は一軍の試合に多く出るようになりました。

 きっかけは4月21日の広島戦。セカンドの笘篠賢治さんの代打で出場した僕は、この打席でプロ初本塁打を打ちます。野村監督が「そのままセカンドに入れ」と言ったいきさつは、この連載でも書きました。

 何度も言うようですが、当時の僕は捕手。アマチュアでも守ったところがないポジションなのに、普通、そのまま二塁に就かせますか? 僕もベンチも驚きましたが、対戦相手の広島は一体どう思っていたのか。「飯田って誰? キャッチャーじゃん!」と、選手名鑑をめくって仰天していたでしょう。

 この年はほとんど1番・二塁で出場し、123安打、打率・279。盗塁も29個と、実質1年目にしては自分でもよくやれたなと思っています。

■助っ人獲得の不手際でトコロテン方式に…

 僕の“ついのすみか”となるセンターにコンバートされたのは、翌91年のキャンプです。球団はジョニー・レイという助っ人を獲得、本来なら彼が外野の一角を任されるはずでした。

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