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権藤博野球評論家

1938年12月2日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年に中日入り。1年目に35勝19敗、防御率1.70という驚異的な成績を挙げ、最多勝や沢村賞などタイトルを総ナメに。連投に連投を重ねる姿に「権藤、権藤、雨、権藤」の流行語が生まれた。68年に現役引退後は各球団の投手コーチを歴任。横浜で初の監督に就任した98年にはいきなりペナントを制し、38年ぶりの日本一に導いた。

新任の中日・和田一浩打撃コーチも口にする指導の神髄「教えない教え」

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 私が「教えない教え」(集英社新書)という一冊を上梓したのは、2010年のこと。指導論と言ったら堅苦しいが、長く野球界に身を置いて積み上げた経験をまとめたものだ。教えない教え──。書名にしたこの考えに至ったきっかけは、47年前に米国で出会った名もないコーチにある。

 現役引退後、73年に二軍投手コーチとして中日に復帰した私は、その翌々年の秋に単身で米国へ行った。レッズとレッドソックスのワールドシリーズを観戦したあと、入団間もない若手が集う教育リーグを視察して回ったときのことだ。

 よく言えば「原石」の集まりで、中には基本のキの字も知らないような選手も少なくなかった。守備練習でフライがあがり、右翼手が「OK、OK」と捕球体勢に入ったと思ったら、ボールは10メートル以上も横にポトリ。思わず傍らにいたコーチに「He'sstupid(彼は間抜けだ)」と冗談交じりに話しかけると、こんな答えが返ってきた。

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