「最後に30秒くれないか」長年中継を支えてくれた北の富士さんに伝えたかったお礼〈北の富士さんと私〉
──別れがやってくる。2024年11月12日、九州場所中(3日目)に北の富士さんが死去した。吉田さんは定年を控えていた。
北の富士さんは心臓に持病があって、23年初場所を最後に解説を休まれていた。一方、私は25年夏場所をもって定年。北の富士さんあっての私は、北の富士さんにまた元気になってもらい、最後に「居酒屋トーク」を大いにやってNHKでの相撲アナウンサー人生を締めくくりたいと密かに願っていました。それがかなわず、人生の大きな心残りです。
──死去が報じられたのは20日深夜。亡くなってから8日経っていた。
本場所が近づく中、容体が悪くなっていくのを、北の富士さんは自ら分かっていたのではないでしょうか。まな弟子でもある理事長の八角親方(元横綱北勝海)には、「死んでも場所中には発表するな」と伝えていたそうです。大事な本場所に水を差したくないとの思いからでしょう。北の富士さんは最後まで北の富士さんでした。
しかしその理事長も、周囲から病状や容体を尋ねられる中、とうとう抑えきれずに公表しました。理事長もこの間、つらかったと思います。11日目が終わった後の20日深夜に一報が回りました。
──翌日の幕内のテレビ実況が吉田さんだった。
深夜に訃報を知って、すぐに番組プロデューサーと翌日の担当ディレクターへ電話をしました。でも、翌日の放送まで時間がなくて、過去の映像を十分には集められない。だから本格的な追悼放送は後日改めて中継に組み込むことにして、翌日は中入りの時間にのみ、いっとき偲ぼう、となった。
それで、解説の玉ノ井親方(元大関栃東)のほか、当日はラジオの解説だった舞の海さんにも放送席にきてもらいました。玉ノ井親方は、お父さんの初代栃東(元関脇)が北の富士さんと何度も対戦していて親交があり、子どものころから「ダイスケ、ダイスケ」と名前を呼ばれて可愛がられていた。舞の海さんは、言わずと知れた解説の名コンビでした。
八角理事長もメッセージを寄せてくれました。理事長は死去の報のあと、「正式に会見するまではコメントは出せない」と言っていたのですが、「理事長ではなく、まな弟子として」と、会見前にもかかわらず、放送直前に感謝の言葉をメールで送ってくださった。「今日自らがあるのは北の富士さんのおかげ。相撲のことはもちろん、酒の飲み方も教わった」と。皆それぞれに北の富士さんへの思いを語り、寂しい中にもいい時間となりました。
けれども、「場所に水を差したくない」というのが北の富士さんの最後の思い。私は中入りの終わりとともに、「ここからは、いつもどおりの放送を」と務めました。
──中継の最後に、改めて北の富士さんへメッセージを送った。
もう、湿っぽくするなと天から言われそうでしたが、けれども、大相撲を、中継を長年支えてくれたことを思うと、やはりどうしても最後にお礼が言いたかったのです。
私はだから、ディレクターに「最後に30秒くれないか」と放送前にお願いしていました。終了30秒前に放送をいったん締めて、そこからお礼の言葉を述べようと思ったのです。ディレクターも、「分かった。それなら最後は追悼の言葉にふさわしい画にしよう」と。
──5時59分30秒。画面に土俵が映し出される。放送の終わりを告げるはね太鼓の音が流れた。吉田さんは語り始める。「きょうは中入りの時間に、北の富士勝昭さんの訃報をお伝えしました。本当に長い間お世話になりました。北の富士さん、どうもありがとうございました」
ほんのわずかな恩返しになったのかな……。思い出すと、今も胸が熱くなるんです。(了)
(構成=山家圭)


















