工藤公康さん 人生のターニングポイントは4回「高校進学で人生が変わった」

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工藤公康さん(元プロ野球選手・監督・野球解説者/60歳)

 プロ野球選手として現役中に14回のリーグ優勝、11回の日本一に輝いた工藤公康さん。監督としても5回日本一を成し遂げた球界のレジェンドだが、野球人生の大きな節目、ターニングポイントが何度もあった。著書「工藤公康 配球とは」にちなんだ「瞬間」についてもうかがった。

 ──工藤さんは小学校、中学校では少年野球チームの経験はなく、学校の部活動で活躍する野球少年だった。

 僕は中学を出た後は家庭の事情で高校には行けないはずでした。5人兄弟で育ちましたが、父親に「うちはお金がないから行かせられない。中学を出たら丁稚奉公に出て働け」と言われていました。

 それじゃ仕方がないなと諦めていましたね。思い浮かべたのはドラマでよくある風景です。丁稚に行った店の裏で白い仕事着を着て、じゃがいもの皮をむいているイメージです(笑)。

 中学では野球は片手間の感じで、最初に入ったのはハンドボール部でした。ある日、野球部にいた子がハンドボールをやりたいと顧問の先生に直談判するというので、なぜか僕も一緒に呼ばれてついて行った。野球部とハンドボール部の顧問を掛け持ちでやっている先生でした。先生に「工藤は小学校の時は野球をやっていたのに、なぜやらないんだ」と聞かれたので、正直に「野球は好きじゃないので」と答えたのですが(笑)。先生は僕の小学校時代の噂を聞いていたのかもしれません。

 すると先生は「工藤は野球をやれ。おまえら今日からトレード!」。「エッ! 中学でトレードですか」とゴネたけど、当時の先生は怖い。有無も言わさず野球をやらされることになったんです。

 でも、どんなに頑張っても高校には行けないと思っていました。ところが、3年の4月に学校にやってきた用務員さんとの出会いが運命を変えることに。この方は愛知県の何人かの高校野球の監督をされている方と親しかった。最初に「いい球投げるね」と声をかけられ、「高校は決まっているのか」と聞かれたので「中学を出たら働けと言われてます」と答えました。そうしたら「特待制度があるぞ」と教えてくれた。それで父親に相談したら「お金がかからないなら高校に行ってもいい」と言うので、名古屋電気高校(現・愛工大名電高校)に入ることになったんです。

 もしあの用務員さんがいなかったら、今の僕はなかったでしょう。

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