工藤公康さん 人生のターニングポイントは4回「高校進学で人生が変わった」

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99年、城島捕手と配球を研究し尽くして日本一に

 ──95年にダイエー、2000年に巨人、07年に横浜、10年西武へと移籍したが、ピークと語るのはダイエー最後の99年、日本シリーズ。配球を考えるようになったのは王監督のダイエーに移籍してからのことだ。

 西武時代の捕手は伊東勤さんでしたが、ダイエーでは当然、捕手が代わります。西武時代と投げてるボールは変わらないのになぜか打たれる。バッターにボールを読まれているのかなどといろいろ考えている中で、配球を学ばなきゃいけないとわかって勉強を始めました。西武時代に先発した時のビデオは全部もらっていたので球種から1球目、2球目とあらゆる分析をして、野村監督の本に行きつきました。

 2年目から調べだして3年目の途中から城島健司と組むようになったのですが、その頃の城島には内野手へのコンバートの話があった。その時に王監督から「城島を一人前のキャッチャーにしてほしい。これまで修羅場をくぐり抜けてきた君のやり方でいいから」というお話をいただき、バッテリーを組むようになりました。当時はイジメているなんてことも言われましたが、城島と配球の研究をし、話し合って試合の中で実践していった。

 僕にとっての集大成は99年です。シーズン中に11勝。日本シリーズは圧倒的に中日有利という下馬評を覆して日本一になることができた。この時の中日の主軸は関川浩一君でした。彼を抑えるために城島と2人で同じビデオを見て研究し、見終わったら連絡し合い、僕の部屋で一緒にビデオを見て意見を出し合って確認、もし意見が一致しなければまた別々にビデオを見て考えがまとまるまで意見交換し合った。何十時間も関川対策をやりました。それで抑えることができた。野球人生のピークでしたね。

(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ

◆西武ライオンズ、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズの現役29年で通算224勝、リーグ優勝14回、日本一11回。監督として日本一5回。

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