視覚障害のあるサッカー選手 松本光平さん「激レアさん」で紹介され話題に…その後どうしてる?

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「さまざまなケガを克服してきた経験があったから、簡単にはへこまなかった」

 ニュージーランドでチューブを使って自主練中、チューブを壁に留めていた金具が勢いよくはずれ、右目を直撃。左目にはチューブが当たり、痛みにもだえた。急きょ帰国し手術。眼球摘出は免れたものの、右目は黄斑部に3カ所穴が開いていて、視力は取り戻せなかった。手術後の「えぐられるような」激痛に耐え、リハビリは歩くことから。それだけでも、1カ月以上かかった。常人ならサッカー復帰は諦めるところだ。

「全盲になっていたら諦めていたと思いますが、ボンヤリでも見えていたし、復帰のために耐えなければならないリハビリの説明を受けたら、『できる』と思いました。やるだけだ、と。客観的に自分を分析できるんです。目をケガする前も、肉離れや骨折、脱臼などいっぱいケガをしてきました。それを克服してきた経験があったから、簡単にはへこまなかったのかなと思います」

 しかし、契約するチームはなかなか現れなかった。22年、「激レアさんを連れてきた。」に出演すると、フットサルのFリーグ2部のデウソン神戸と契約にこぎつけた。

「細かいプレーや対人プレーが、フットサルのトレーニングや試合のおかげでできるようになり、自信もつきました」

 フットサルの経験が、ハミルトンでのサッカーへの復帰につながった。

「ようやくスタートラインに立てた、ここからのほうが大事だ、と思っています。ハミルトンからは契約更新のオファーはいただいています。でも、日本のJリーグでプレーしたい気持ちも強く、24年はどこと契約するか、まだ探しています」

 視覚障害者初のJリーガーになることも、目標のひとつだ。

 さて、大阪市生まれの松本さんは、幼い頃にサッカーを始め、高校時代はガンバ大阪ユースに在籍。高校卒業後、プロ契約を目指し、単身渡英しイングランドの強豪・チェルシーFCの下部組織で2年弱プレーした。

 12年からはニュージーランドや豪州など、主にオセアニアのプロチームでプレーし、19年にはニューカレドニアのヤンゲン・スポールの選手として、FIFAクラブワールドカップに出場。

「クラブワールドカップ出場という目標をかなえたのですが、1回戦で敗退し、結果にも内容にも満足できなかった。もう一度出場し、納得のいくプレーで結果を出すことが、今も目標のひとつです」

 来年、35歳になる。現役引退後の人生については、どう考えているのだろうか。

「視力障害の子たちがスポーツをする、環境づくりをしたいと思っています」

 鋼のメンタルの松本さんなら、目標をひとつずつ実現しそうだ。

(取材・文=中野裕子)

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