「審判には紳士的だったよ」と話す森本が、一度だけ食らった退場処分
阪急・西本幸雄監督は、このシリーズ終了後、球団に辞意を申し入れた。しかし、森薫オーナーは慰留に努め、現場の代表として上田利治コーチも思いとどまるよう西本を説得した。結局、辞意を撤回した西本は、チーム改造に着手する。71年12月、内野の要として熱望していた東映フライヤーズの遊撃手・大橋穣を獲得するため、大型トレードを断行。東映と阪急の間で正遊撃手・正捕手がそのまま入れ替わる異例の同一ポジションのトレードとなった。さらに、内野守備コーチとして阪神のコーチだった本屋敷錦吾(立大-阪急-阪神)を招聘。チーム再建が始動した。
翌72年、森本は初の開幕戦4番打者としてスタメン出場。主砲の長池徳士がオープン戦で左足首を故障したためだったが、4打数2安打と結果を残した。チームは開幕6連勝と好調なスタート。この年は長池のスタメン復帰後もしばしば4番を打つことになる。
6月13日、小倉球場で行われた西鉄ライオンズ戦。この試合でも4番を打ち、対戦相手の東尾修投手から2安打をマークしたが、0-2で完封負けを喫した。東尾はシュート、スライダーと横の揺さぶりで攻める技巧派投手。


















