「審判には紳士的だったよ」と話す森本が、一度だけ食らった退場処分
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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4度目の挑戦も空しく、巨人に敗れ去った1971年の日本シリーズ。後楽園球場で川上哲治監督の胴上げがあった第5戦、三回裏、巨人・柴田勲の三盗の判定に対して森本が塁審に抗議する映像が残されている。テレビ中継の解説者・三原脩(当時ヤクルトアトムズ監督)までが、「あれは審判のミス。森本がタッチするところを肩越しに見ていたから。立つ位置が悪い」と指摘したが、いわゆる「巨人贔屓」の判定はあったのだろうか。
「俺自身は気にならなかったね。審判に対しても俺は紳士的なほうだったよ」と語る森本だが、現役時代一度だけ判定を巡って退場に至った記録が残されている。
69年10月15日、対ロッテ最終戦。四回表、2死一、二塁で阪急・大熊忠義のゴロを捕ったロッテ有藤道世三塁手の二塁送球が逸れ、一塁走者の森本が滑り込んだ。セーフのように見えたが判定はアウト。森本は塁審を突き飛ばし、退場処分となった。


















