1969年日本シリーズ第4戦、退場劇後に宮本幸信が大崩れした「本当の理由」
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(木曜掲載)
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1969年の日本シリーズ、第4戦、4回裏。巨人・土井正三の三塁からのホームスチールの判定を巡って、試合は大荒れに荒れた。この場面、三塁手の森本、二塁から本塁に送球した山口、土井の3人は立大の同期生。セーフの判定に抗議して退場になった捕手・岡村浩二も立大出身。打席にいた長嶋茂雄も、阪急の監督・西本幸雄も立大OBだった。
さらに、マウンドにいた投手・宮本幸信も立大には因縁があった。63年春、神戸市立神港高のエース兼5番打者で春の選抜大会に出場。準決勝まで勝ち進み、この年の秋、立大のセレクションに参加する。セレクションでは、同じ神戸で知り合いだった土井の実弟(立大へ進学)、森本の出身校である西条高の後輩・村上公康(西条高-立大中退-日本楽器-西鉄-ロッテ)とも顔を合わせている。旧グラウンドでのセレクションのバッティングで、宮本は「長嶋さんしか打ったことのない場所」まで打球を飛ばすが、投手としては未完成だったためかセレクションに落ち、中央大学に進む。4年次にエースとして中大を初の大学日本一に導き、ドラフト2位で68年に阪急に入団した。


















