「ありえない判定」による長嶋茂雄の“命拾い”が伏線となった日本シリーズ初の退場劇
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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1969年10月30日、後楽園球場。日本シリーズ史上に残る大騒動が起きた。3-0と阪急がリードした4回裏、マウンドには絶好調の先発・宮本幸信。この回の先頭打者の巨人・土井正三は立大時代、森本の同期生。土井がショート強襲のヒットで出塁すると、次打者王貞治の打球はセカンド山口富士雄のグラブをかすめてライト前に抜けた。ノーアウト一、三塁で打席には4番・長嶋茂雄。宮本はこれまでと同じく内角を速球で攻め、2ストライク。3球目、外角に外すボールに釣られ、長嶋はバットを出した。空振り三振、のはずが岡田功球審の判定はボール。
「あれはVTRを見ればわかるけど、完全に振っている。ハーフスイングどころか顔の前にバットが出ているんだから。今だったらハーフスイングに厳しいからありえない判定だね。絶対に三振ですよ」と、宮本は回想する。捕手・岡村浩二は判定への不服を示し、西本幸雄監督がベンチから出て抗議した。しかし、宮本はこのときに監督が出てくるタイミングが遅かったと記憶している。運命の歯車は少しずつ狂い始めた。


















