“球界の紳士”藤田元司の知られざる顔「高校時代は近隣に鳴り響いた札付きのワルだったよ」
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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日本シリーズでは3年連続で巨人に敗れた阪急。ショックが大きかったのか、1970年は4年ぶりにBクラスに沈む。収穫は山田久志、福本豊、加藤秀司の若手が成長したことだった。森本はこの年、主に3番打者として出場している。
翌71年、阪急は2年ぶりにリーグ優勝を果たす。前半戦には球団記録の15連勝をマークし、シーズン80勝を達成。新エース山田が22勝を挙げた。森本は再び5番打者に戻り、初の全試合出場。打率は自己最高の.284をマークした。
「この年は西本幸雄監督が配慮して使ってくれたんだ。前年のシーズンオフ期間だったかな、確か病気をしたんだよ。耳の下側、顎の付け根の辺に瘤ができて、それを放っておくと腫瘍になる病気だったかな? ちょっと記憶が定かではないんだけど。だからあの年は勝っている試合でも、負けている試合でも7回になると控えの内野手(井上修、渡辺勉)に交代してもらった。西本さんが大事に使ってくれたからだよ」
日本シリーズでは、巨人と4度目の対戦。この年は、シーズン中の戦いぶりから見て、阪急有利の下馬評だった。ONの存在を除けば、森本も「巨人も圧倒的な戦力ではなかった」と当時を振り返っている。
西宮球場での第1戦は阪急・足立光宏と巨人・堀内恒夫の投げ合いで始まった。堀内がクイックモーションで阪急の足を完全に封じ、2対1で完投勝利。第2戦は一転して乱打戦となった。5対5で迎えた八回裏、森本が山内新一投手から勝ち越しの二塁打。試合を決める決勝タイムリーとなった。舞台を後楽園球場に移し、第3戦が始まる。
第3戦、阪急の先発投手は山田、巨人は関本四十四。2回表、森本がヒットで出塁し、次打者大熊忠義が右翼線に二塁打。右翼手・末次利光がもたつくのを見て、森本は一気にホームへ駆け抜けた。山田はこの1点を守り、8回まで2安打無失点と完璧なピッチングで巨人打線を抑えた。完封勝ち目前、九回裏2死一、三塁の土壇場から王貞治に逆転サヨナラ3ランホームランを打たれる。劇的な幕切れとなった。
「あのホームランは覚えている。凄かった」と、森本は語る。
王の打球がライトスタンドへ一直線に突き刺さった瞬間、巨人ベンチの選手、コーチが喜びを爆発させた。当時の巨人投手コーチは藤田元司(西条高-慶大-日本石油-巨人)。
「藤田さんはね、西条高校の大先輩なんだよ。日本シリーズでは真っ先に挨拶に行ったよ。あの人は『球界の紳士』と呼ばれていたでしょう。でもね、高校時代は西条で一番のワルだったらしいよ。近隣に鳴り響いた札付きのワルでね。田舎の高校生が大学で東京に出てから大人しくなったのかなあ(笑)。藤田さんは俺に『(昔のことがあるから)西条には帰りたくないんだ』なんて言っていたよ」
のちの名監督のイメージからすれば信じがたいようなエピソードである。
結局、この手痛い敗戦が「戦力は互角」と言われていたシリーズの流れを変えたのか、第4戦、第5戦と連敗。4度目の挑戦も巨人の牙城を崩すことはできなかった。機動力、守備、阪急の盗塁を封じた事前の準備を含めて総合的に巨人の圧勝だった。
(中村素至/ノンフィクションライター)



















