紙切れ一枚でクビに…怒りに任せて野球用具すべてを詰め込んだバッグごと、ゴミ箱にぶん投げて球場を後にした
日本にいた当時から靱帯は傷ついていた。翌年は36歳。このタイミングでトミー・ジョン手術をやろうものなら、1年間は投げられず、先はほとんどなくなってしまう。といって当日はもう、通訳もいない。慌てて通訳に電話し、骨片を取り除くだけにしてくれと頼んで事なきを得た。
手術明けはデンバーでリハビリ。自分のアパートでヤンキースvsメッツのワールドシリーズを見たことを覚えている。
一度、日本に帰国して投げられるようになったことを確認、年明けは暖かい場所で投げるリハビリ。ロサンゼルスで野茂と自主トレをしてからキャンプ地のツーソンに入った。
ロッキーズ1年目の2000年限りでメッツ時代に結んだ2年契約が切れ、01年は投球イニング数によるオプションが付いていた。決まったイニング数を投げれば契約は自動更新されたが、クリアできず、契約するしないの権利は球団側に。結局、01年はスプリングトレーニングで最後まで残ったら契約ということになった。
前年までは主力組のAチームで投げていたものの、準主力のBチームやマイナーで投げることが多かった。どうやら僕と左腕投手の2人が当落線上にいたようだった。


















