星野監督の下で指導者なんて論外 コーチ打診されるも球団代表に「自由契約」を直談判した
2011年、6月の右手薬指剥離骨折の影響もあり、9月は打撃が絶不調だった。27日からの3連戦で10打数無安打に終わった翌30日、京セラドーム大阪でのオリックス戦前に“事件”が起こる。
それまで股関節痛を抱えていた俺は痛み止め薬のボルタレンを服用していた。飲んでから効くまで時間がかかるため、スタメンの場合、試合前に逆算して服用する必要がある。その事情はあらかじめ田淵(幸一)さん(一軍ヘッドコーチ)に相談したうえで了解をもらっていた。
9月30日のオリックス戦前は田淵さんからスタメンであることを告げられなかった。「今日はベンチか。前の3連戦で10タコだったし、仕方ないか」と思っていた。
しかし、張り出されたスタメン表を見て愕然とする。俺の名前があったのだ。
田淵さんは天然なところがあったから、おそらく悪気はなかったのだと思う。でも、自分は切るか切られるかの瀬戸際で勝負している。
「こっちは野球人生がかかっているんです。前もって頼んでいるんだから、それくらい言ってもらわんと困りますよ!」
少しキツイ口調で言った。すると、それがすぐに星野仙一監督の耳に入り、京セラドームの監督室に呼び出された。
「何や、おまえ」
俺は理由を説明したが、監督はぶっきらぼうにこう言った。
「おまえ、もう辞めろ」
突然のクビ宣告。星野監督は一度決めたら揺るがない。こちらがいくらガーガー言っても聞く耳を持たない。それは長い付き合いだったから、よく分かっていた。だから俺はその場ですぐ
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