「幕末の女医楠本イネ」宇神幸男著

公開日: 更新日:

 幕末から明治にかけて産科・外科の女医として生きた楠本イネ。吉村昭の小説「ふぉん・しいほるとの娘」や司馬遼太郎の「花神」などに描かれ、「オランダおいね」の呼び名でも知られるが、その生涯は不明なことばかりだという。当人に関する数少ない資料と数多くの周辺資料を読み込み、推察し、イネの実像に迫った人物評伝。

 イネは、長崎の出島にやって来たドイツ人医師シーボルトと、遊女たきの間に生まれた娘。だが、物心ついたとき、父はいなかった。日本地図などを国外に持ち出そうとした「シーボルト事件」で国外追放されたからだ。

 だが、シーボルトは母娘を見捨てたわけではなく、経済支援もしていた。母たきがシーボルトに書き送った手紙によると、イネは容姿が美しく、利口で、性質は男の子のようだった。

「父上の名を汚してはならない」と常々言われて育ったイネは、女ながらに父の家業を継ごうと、医者を志す。伊予宇和島で医術を学び、長崎に帰って25歳で開業。学び足りないと、再び遊学。先駆的キャリアウーマンとして頑張るイネだったが、道は平坦ではなかった。24歳のとき、30歳も年長の医学の師に強姦され、妊娠。娘を産み育てることになった。

 1859年、30年ぶりにシーボルトが再来日。この時シーボルト63歳、イネ32歳。シーボルトは老いた日本の妻たきとの同居を望まなかったばかりか、使用人の16歳の娘を妊娠させてしまう。偉大な父を励みに精進してきたイネは、凍りつく思いだったに違いない。

 女医イネの活動は続く。宇和島の楠本医院には患者が大勢押しかけた。43歳で東京に進出、築地で産科医院を開業した。晩年の資料は少ないが、73歳のイネの写真が載っている。背筋を伸ばし、まっすぐ前を見ているイネは凜として美しい。

(現代書館 2200円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    3年連続MVP大谷翔平は来季も打者に軸足…ドジャースが“投手大谷”を制限せざるを得ない複雑事情

  2. 2

    自民党・麻生副総裁が高市経済政策に「異論」で波紋…“財政省の守護神”が政権の時限爆弾になる恐れ

  3. 3

    立花孝志容疑者を"担ぎ出した"とやり玉に…中田敦彦、ホリエモン、太田光のスタンスと逃げ腰に批判殺到

  4. 4

    最後はホテル勤務…事故死の奥大介さん“辛酸”舐めた引退後

  5. 5

    片山さつき財務相“苦しい”言い訳再び…「把握」しながら「失念」などありえない

  1. 6

    ドジャースからWBC侍J入りは「打者・大谷翔平」のみか…山本由伸は「慎重に検討」、朗希は“余裕なし”

  2. 7

    名古屋主婦殺人事件「最大のナゾ」 26年間に5000人も聴取…なぜ愛知県警は容疑者の女を疑わなかったのか

  3. 8

    阪神異例人事「和田元監督がヘッド就任」の舞台裏…藤川監督はコーチ陣に不満を募らせていた

  4. 9

    高市内閣支持率8割に立憲民主党は打つ手なし…いま解散されたら木っ端みじん

  5. 10

    《もう一度警察に行くしかないのか》若林志穂さん怒り収まらず長渕剛に宣戦布告も識者は“時間の壁”を指摘