「一人称単数」村上春樹著

公開日: 更新日:

 その日、私は一人きりで家にいた。妻は留守で、何をするともなく部屋をうろうろとしているうちに、たまにはスーツを着てみようという気持ちになった。私はときどき、めったに着ないスーツに罪悪感を覚え着てみることがある。ところが、その日、鏡に映った自分の姿に感じたのは、違和感のようなものだった。

 しかし、誰にだってそういう日もあるのだと自分に言い聞かせて、バーに入ってみた。ウォッカ・ギムレットをすすりながら、ミステリー小説を読んでいると、50歳前後の女性が声をかけてきた。彼女は言う。「そんなことして愉しい?」「そういうのが素敵だと思ってるわけ?」。いくつかの挑発のあと、彼女はこう言った。

「3年前の水辺。あなたはどんなひどいことをしたか」

 身に覚えのない糾弾だったが、私は私に恐れを感じた――。(表題作)

 僕、私など一人称単数が話者となる8編の短編小説。短歌をつくる女性とのセックス、温泉場で働く猿の告白など、主人公の過去や経験談がつづられる。奇妙な出来事によって日常が一転、非日常へと転換していくさまに、ひやっとする。

(文藝春秋 1500円+税)

【連載】週末に読みたいこの1冊

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    阿部巨人V逸の責任を取るのは二岡ヘッドだけか…杉内投手チーフコーチの手腕にも疑問の声

  2. 2

    巨人・桑田二軍監督の電撃退団は“事実上のクビ”…真相は「優勝したのに国際部への異動を打診されていた」

  3. 3

    クマ駆除を1カ月以上拒否…地元猟友会を激怒させた北海道積丹町議会副議長の「トンデモ発言」

  4. 4

    巨人桑田二軍監督の“排除”に「原前監督が動いた説」浮上…事実上のクビは必然だった

  5. 5

    クマ駆除の過酷な実態…運搬や解体もハンター任せ、重すぎる負担で現場疲弊、秋田県は自衛隊に支援要請

  1. 6

    露天風呂清掃中の男性を襲ったのは人間の味を覚えた“人食いクマ”…10月だけで6人犠牲、災害級の緊急事態

  2. 7

    高市自民が維新の“連立離脱”封じ…政策進捗管理「与党実務者協議体」設置のウラと本音

  3. 8

    阪神「次の二軍監督」候補に挙がる2人の大物OB…人選の大前提は“藤川野球”にマッチすること

  4. 9

    恥辱まみれの高市外交… 「ノーベル平和賞推薦」でのトランプ媚びはアベ手法そのもの

  5. 10

    引退の巨人・長野久義 悪評ゼロの「気配り伝説」…驚きの証言が球界関係者から続々