「海と毒薬」遠藤周作著

公開日: 更新日:

 1945年5~6月、九州帝国大学医学部で、米軍の捕虜8人に対して生体解剖をした、いわゆる「九大生体解剖事件」が起きた。米兵は墜落したB29の搭乗員で、同大外科医らが西部軍立ち会いの下で解剖手術を施し、全員を死亡させた。肺の片方を切除しても生きられるか、代用血液としての海水使用の可能性などの生体実験だった。

 執刀した外科教授は独房で自殺、軍関係者9人と九大関係者14人が絞首刑や終身刑などの有罪判決を受けたが、その後、恩赦で減刑された。本書は同事件を材に取った小説で、恩赦から7年後の1957年に雑誌で連載され、翌年単行本化された。

【あらすじ】8月の暑いさかり、新宿から電車で1時間もかかる郊外の住宅地に引っ越してきた「私」は、気胸の治療をしてもらいに近所の医院を訪れた。院長の勝呂は無愛想でとっつきにくかったが、偶然にも勝呂が戦争中のF医大生体解剖事件の当事者だったことを知る--。

 ここまでが第1章「海と毒薬」の序で、次いで場面は事件当時のF大医学部へ移り、大学内部の人事をめぐる問題と生体実験の関連などの経緯が語られる。第2章「裁かれる人々」は、看護婦の上田と勝呂と同じ研究生の戸田の回想が一人称で語られ、事件に関与するまでの2人の特異な生い立ちが語られていく。

 そして第3章「夜のあけるまで」は、手術当日の、参加者それぞれの葛藤が描かれるという構成になっている。

【読みどころ】戦時中という非日常において起きた事件ではあるが、当事者らの生い立ちを語りながらその内面に深く下りていく作者は、ここで人間が抱える原罪のようなものを問おうとしているのだろうか。事件から80年近く経った今も、重い問いを投げかける作品だ。<石>

(新潮社407円)

【連載】文庫で読む 医療小説

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース大谷翔平32歳「今がピーク説」の不穏…来季以降は一気に下降線をたどる可能性も

  2. 2

    高市政権の物価高対策はもう“手遅れ”…日銀「12月利上げ」でも円安・インフレ抑制は望み薄

  3. 3

    元日本代表主将DF吉田麻也に来季J1復帰の長崎移籍説!出場機会確保で2026年W杯参戦の青写真

  4. 4

    NHK朝ドラ「ばけばけ」が途中から人気上昇のナゾ 暗く重く地味なストーリーなのに…

  5. 5

    京浜急行電鉄×京成電鉄 空港と都心を結ぶ鉄道会社を比較

  1. 6

    ドジャース佐々木朗希の心の瑕疵…大谷翔平が警鐘「安全に、安全にいってたら伸びるものも伸びない」

  2. 7

    【時の過ぎゆくままに】がレコ大歌唱賞に選ばれなかった沢田研二の心境

  3. 8

    「おまえもついて来い」星野監督は左手首骨折の俺を日本シリーズに同行させてくれた

  4. 9

    ドジャース首脳陣がシビアに評価する「大谷翔平の限界」…WBCから投打フル回転だと“ガス欠”確実

  5. 10

    巨人が李承燁コーチ就任を発表も…OBが「チグハグ」とクビを傾げるFA松本剛獲得の矛盾