自宅の合鍵まで ドン底の山崎ハコ支えた渡辺えりの心遣い

公開日: 更新日:

■部屋の掃除をしていたら「あ、これだ!」

 でも、歌は作らなければなりません。それで「起きた瞬間から見える景色が180度違う場所に行ってみよう」と、思い出したのがえりさんの山形市郊外の別宅。電話したら二つ返事で「いいよ」と。それで愛車にギター2本とレコーディング機材を積んで山形に向かい、11月下旬からの10日間曲作りに打ち込みました。

 山形市は盆地で、私の故郷の日田市(大分)に似ています。晩秋は朝方に深い霧が立ち込め、夜は満天の星。近所には共同温泉浴場。歌が大好きだった中学時代に立ち返ることができたみたいで思った以上に曲作りがはかどり、9日で9曲もできました。でも、宿題が残っていました。芳雄さんが亡くなる5年前、「ハコの歌は“縁(えにし)”を感じる」と。この遺言をテーマにした曲が手付かずのまま。そんな思いで迎えた最後の日。部屋の掃除をしていたら、突然、詞とメロディーが降りてきて「あ、これだ!」。急いで、いったん片付けた機材をセットし直してレコーディング。それが「縁-えにし-」でした。


「縁」は翌12年にリリースしたアルバムのタイトル曲。この中に民謡歌手の伊藤多喜雄さんに96年に提供した「愛しき大地」も入れましたが、えりさんとは伊藤さんとの縁で90年に出会いました。当時の私は「暗い」「無口」というデビュー以来のイメージが裏目に出て行き詰まり、事務所の社長に「ニーズがない」とまで酷評され散々。そんな時に伊藤さんに曲作りを依頼され、コンサートを見た後に打ち上げに参加したら、たまたま同じテーブルになったのがえりさんだったのです。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    中学受験で慶応普通部に進んだ石坂浩二も圧倒された「幼稚舎」組の生意気さ 大学時代に石井ふく子の目にとまる

  2. 2

    横浜とのFA交渉で引っ掛かった森祇晶監督の冷淡 落合博満さんは非通知着信で「探り」を入れてきた

  3. 3

    出家否定も 新木優子「幸福の科学」カミングアウトの波紋

  4. 4

    国宝級イケメンの松村北斗は転校した堀越高校から亜細亜大に進学 仕事と学業の両立をしっかり

  5. 5

    放送100年特集ドラマ「火星の女王」(NHK)はNetflixの向こうを貼るとんでもないSFドラマ

  1. 6

    日本人選手で初めてサングラスとリストバンドを着用した、陰のファッションリーダー

  2. 7

    【京都府立鴨沂高校】という沢田研二の出身校の歩き方

  3. 8

    「核兵器保有すべき」放言の高市首相側近は何者なのか? 官房長官は火消しに躍起も辞任は不可避

  4. 9

    複雑なコードとリズムを世に広めた編曲 松任谷正隆の偉業

  5. 10

    中日からFA宣言した交渉の一部始終 2001年オフは「残留」と「移籍」で揺れる毎日を過ごした