著者のコラム一覧
荒木経惟写真家

1940年、東京生まれ。千葉大工学部卒。電通を経て、72年にフリーの写真家となる。国内外で多数の個展を開催。2008年、オーストリア政府から最高位の「科学・芸術勲章」を叙勲。写真集・著作は550冊以上。近著に傘寿記念の書籍「荒木経惟、写真に生きる。荒木経惟、写真に生きる。 (撮影・野村佐紀子)

<29>恩師・桑原甲子雄さんはずっと応援してくれたんだ

公開日: 更新日:

 オレにとって恩師というのは、桑原甲子雄さん(写真家・写真評論家)なんだよね。まだ大学を出て電通に入った次の年ぐらい(1964年)で、オレがカメラ雑誌に写真を応募していた頃に、桑原さんが編集長をやっていた『カメラ芸術』(1964年4月号)で、16ページのグラビア特集をやってくれた。無名のオレに、一番最初に声をかけてくれた。その頃はないからね、まだ無名なのに、16ページなんてさ。オレが24歳のときだよ。(桑原は、1948年に写真雑誌『カメラ』誌の戦後3代目の編集長就任を皮切りに、『サンケイカメラ』、『カメラ芸術』、『季刊写真映像』、『写真批評』、『フォトコンテスト』などの編集長を歴任した。)

まだ無名のオレに16Pグラビア特集

 桑原さんも生まれが下町の下谷(現在の台東区東上野)で、オレが三ノ輪で、同じ地区なんだ。オレのことをいいと思ってくれたのは、そういうこともあるんじゃないかな、同じ下町だって。カメラ雑誌の編集長をやっているから他の雑誌も見ているじゃない。オレは学生時代から雑誌の写真コンテストに応募しているから、オレの写真をいろんな雑誌で見ている。『日本カメラ』や『アサヒカメラ』や『カメラ毎日』とかね。だから、「さっちん」をね、下町の子どもたちの写真を撮っているのも知っている。投稿すると、みんな賞を獲るわけだよ。雑誌に投稿したオレの写真を見ていてくれたんだ。

 オレは、さっちんや弟のマー坊や子どもたちの写真をバラバラにして応募していた。同じ時に撮ったのを、『アサヒカメラ』と『カメラ毎日』に出して、どっちも入選しちゃうと、両方に掲載されるんだよ。一種の二重応募みたいなものだよね(笑)。桑原さんは、オレがバラバラにして出してたのを見ていて、「写真をバラバラに発表しないで、僕にやらしてくれないか、ページを作るから」って言ってくれたんだ。

「見いだしたのは自分だ」と言ってくれていた

「さっちん」で「太陽賞」を獲っただろ(1964年「第1回太陽賞」受賞)。桑原さんがやってくれたグラビア特集は「マー坊」。桑原さんは、荒木を最初に見いだしたのは自分だとよく言ってくれてたらしいんだ。「太陽賞」への応募が先なんだけどね。でも、お父ちゃん(桑原)はさ、自分が先だってみんなに言っているからさ。そうだそうだって(笑)。やっぱりお父ちゃんが見いだしてくれたというのがいいじゃない。嬉しいよね。その後も、オレのことを、ずっと応援してくれたんだ。 

(構成=内田真由美)  

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    阪神・梅野がFA流出危機!チーム内外で波紋呼ぶ起用法…優勝M点灯も“蟻の一穴”になりかねないモチベーション低下

  2. 2

    梅野隆太郎は崖っぷち…阪神顧問・岡田彰布氏が指摘した「坂本誠志郎で捕手一本化」の裏側

  3. 3

    国民民主党「選挙違反疑惑」女性議員“首切り”カウントダウン…玉木代表ようやく「厳正処分」言及

  4. 4

    阪神に「ポスティングで戦力外」の好循環…藤浪晋太郎&青柳晃洋が他球団流出も波風立たず

  5. 5

    本命は今田美桜、小芝風花、芳根京子でも「ウラ本命」「大穴」は…“清純派女優”戦線の意外な未来予想図

  1. 6

    巨人・戸郷翔征は「新妻」が不振の原因だった? FA加入の甲斐拓也と“別れて”から2連勝

  2. 7

    時効だから言うが…巨人は俺への「必ず1、2位で指名する」の“確約”を反故にした

  3. 8

    石破首相続投の“切り札”か…自民森山幹事長の後任に「小泉進次郎」説が急浮上

  4. 9

    今田美桜「あんぱん」44歳遅咲き俳優の“執事系秘書”にキュン続出! “にゃーにゃーイケオジ”退場にはロスの声も…

  5. 10

    参政党のSNS炎上で注目「ジャンボタニシ」の被害拡大中…温暖化で生息域拡大、防除ノウハウない生産者に大打撃