<27>子どもの頃、遊び場は「投げ込み寺」遊女の墓場だった
これは、三ノ輪(台東区)の実家の近くの浄閑寺で撮った写真なんだ。彼岸花だけどね。浄閑寺は吉原の遊女の「投げ込み寺」。そこが子どものときの遊び場だったんだよ。寺には吉原総霊塔っていうのがあって、身寄りのないまま死んだ吉原の遊女たちを葬ってたところなんだ。その総霊塔を騎兵隊の砦にしたり、木をいっぱい縄で吊って、空中にハンモックみたいなのを作ってターザンごっこをやったり、西部劇ごっことかをやったり、そこに乗って遊んでたんだよ。(浄閑寺は、安政の大地震〔1855年〕で亡くなった、たくさんの新吉原の遊女たちの遺体が投げ込むように葬られたことから、いつしか「投げ込み寺」と呼ばれるようになった。関東大震災、東京大空襲で焼死した遊女たちもこの寺に葬られており、その数は約2万5千人といわれる。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された)