女優・春風ひとみさん 子役と宝塚、2度もやめるきっかけになった宇野重吉さんとの大切な一枚
「子役を長く続けるのはよくないと思うな」
今でも覚えているのは、私が宇野先生の手を引っ張ってアポイ岳を登るラストシーン。何千匹ものモンシロチョウが下からバッと飛び立っていく。スタッフが籠いっぱいに集めたチョウを一斉に解き放つのですが、あれは大変なシーンだったと思います。一発でOKにならなかったらどうなっていたんでしょうか。スタッフは大変だったでしょうね。
このドラマの時の写真が何枚も残っているんです。ある出来事があって蜂に刺され、頭に包帯をグルグル巻いている私が宇野先生と話をしている写真もあるし、これは今も私が楽屋の化粧前に飾っている思い出の写真です。
このドラマが忘れられない理由もあります。母親が宇野先生にこう言われたそうです。
「子役を長く続けるのはよくないと思うな。何よりもまず普通の生活をすることが大事です。大きくなってお嬢さんが本当に女優になりたいと言ったら、その時はご両親がサポートしてあげればいいですよ」
両親はきちんと学校を卒業して、短大くらいは出た方がいいと思っていたので、宇野先生にそう言われ、私は劇団をやめることになりました。後から聞いた話です。私は劇団をやめて普通に小中学校に通いました。
宇野先生とはもう一つ、私にとって人生の決定的な出会いがあります。後に宝塚に入り、宝塚をやめるきっかけも宇野先生なんです。宝塚音楽学校で2年勉強して、歌劇団に入団してからは8年が過ぎ、10年経って新しいお芝居に挑戦したいと考えていた時期でした。ちょうど神戸で民芸のお芝居があることがわかりました。
どうしても見たいと思ったので、自分からお願いしてチケットを取ってもらい、母に「宇野先生が出ているから見に行ってくる」と言ったら、「アポイ」の時に撮った写真を送ってきてくれたんです。「これを持って行って、宇野先生に挨拶しなさい。民芸の方が覚えているはずだから」と。
私としては畏れ多いと思いましたが、守衛の方に事情を話して入れてもらい、楽屋の裏で待たせていただきました。その日の公演の反省会で宇野先生がダメ出ししている声が聞こえて、ドキドキしました。
出ていらした宇野先生にこの写真をお見せしたら、完璧に覚えてらして、「へえ、あの時の?」と驚かれて。先生に「ところで、今、何やってるの?」と聞かれたので、「宝塚にいます」と答えたら、「もしかして役者やりたいの?」と言われ、「はい」と答えたら、「役者をやりたいならそろそろ卒業かな?」と先生がおっしゃって。私は楽屋からの帰り道に宝塚卒業を決め、翌日退団届を提出しました。
宇野先生に会いたいと思ったのはたまたまだし、それで実際にお会いできたのは奇跡的です。しかも、貴重なアドバイスをいただいた。あの先生の言葉があるから、今の私がある。本当に人って何が起きるかわかりませんね。
ただ、その後、宇野先生とご一緒する機会はなかったですね。先生は亡くなる前も全国をお芝居で回っていらして、私も忙しくしていて、うかがうことができなかった。それだけが心残りで、残念です。