三谷幸喜がスポーツ強豪校だった世田谷学園を選んだワケ 4年前に理系コースを新設した進学校
小学4年の時、母と2人で半月間、欧州旅行。チャップリンの家やシャーロック・ホームズの下宿のモデルとなった場所を訪ねた。三谷の自著「仕事、三谷幸喜の」(KADOKAWA)に寄稿した直江さんは「地図も経路も全部自分で調べて連れていってくれた」と明かしている。プロデュース能力の高さはこの頃にもう備わっていたのだ。小遣いも正月に1年分をまとめて渡していたという。
世田谷学園高校への受験も全部、自分で決めた。母は一切、口を出さなかった。高校時代は映画を撮るのに熱中。ミステリー物がほとんどだった。喜劇に傾倒するのは日大芸術学部演劇学科に入ってから。
「面白いヤツがいると早くから評判になっていた」と振り返るのは日大の元教授。三谷に限らず、日芸演劇学科には才能あふれる人材がそろっていた。三谷の3年後輩には爆笑問題の太田光と田中裕二の2人がいた。何より驚くのは元キャンディーズで水谷豊夫人の伊藤蘭が在学していたことだ。日大第二高校から演劇学科に入学したのは73年。しかし、江古田キャンパスに顔を見せることはほとんどなかった。それまでアシスタント的な仕事が多かったキャンディーズだが、その年の9月に歌手デビュー。一気に忙しくなり結局、大学は中退した。