「元祖スキャンダリスト黒岩涙香」野崎六助著/文春新書(選者:佐高信)
暴露趣味を失ったジャーナリズムは衰退する
「元祖スキャンダリスト黒岩涙香」野崎六助著
「蓄妾の実例」は1898年に「萬朝報」に連載された。“マムシの周六”と異名をとった黒岩涙香の執筆である。やり玉に挙げられたのは伊藤博文、山県有朋、勝海舟、森鴎外、北里柴三郎ら。渋沢栄一の項だけ引く。
「渋沢栄一は深川福住町四番地の自宅に大坂より連れ来りし田中久尾(二十八、九)という古き妾あり。日本橋浜町一丁目三番地の別宅には元吉原仲の町林家小亀こと鈴木かめ(二十四)なる妾を蓄う」
鶴見俊輔やいいだももの涙香伝を読んできたが、野崎のこの本が一番しっくりくる。それは涙香を「元祖スキャンダリスト」と捉えているからだろう。また、さまざまな人物との対比の中から涙香を浮かび上がらせているのも興味深い。
「萬朝報」が非戦論を捨てたために内村鑑三や幸徳秋水が退社したことが大々的に取り上げられるが、日露戦争直前まで非戦を貫いたのは「萬朝報」と「毎日新聞」だけだったことも忘れてはならない。
涙香は19歳で官吏侮辱罪に問われたが、それに関連してこんな逸話を思い出す。
「森の生活」で知られるソローが、アメリカとメキシコが戦争をした時、戦争に使う税金の支払いを拒んで収監された。ソローの師のエマーソンが面会に来て尋ねる。
「何だって君はこんな所に入っているのか」
ソローが返した。
「先生こそ、どうしてここに入っていないのですか?」
“言論ギャング”と呼ばれた野依秀市も「番外対決観戦記」で登場する。「実業之世界」を出していた野依は電力料金値下げのキャンペーンを張り、ついには電力会社役員に、手紙と自決用と称する出刃包丁を送りつけた。
そんな野依を渋沢が支援し、三宅雪嶺が論説を書いて支持したのである。「野依は、社会主義者の『残党』たちの一等の経済的支援者だった。堺(利彦)の売文社には仕事を、大杉(栄)と(荒畑)寒村の『近代思想』には大口の広告をふるまった。大杉と寒村は、野依を白昼強盗、恐喝野郎呼ばわりしているが、親しみ半分だったのだろう」と野崎は指摘している。野依と涙香はスキャンダリズムでつながっているのだ。それを失ったジャーナリズムは衰退する。いまは亡き岡留安則の「噂の真相」は「過激にして愛嬌あり」の宮武外骨より、この涙香の系譜にあると私は思っている。 ★★★



















