田原俊彦「姉妹は塾なし」…苦しい家計を母が支えて山梨県立甲府工業高校土木科を無事卒業
その一方で田原には別の考えがあった。母を安心させるために高校は行くにしても、測量士や建築関係の仕事に就くつもりはなかった。中学から思い描いていたビジョンがあったのだ。貧乏から抜け出すには芸能界に入るしかないと--。
高校入学の直後、ジャニーズ事務所に履歴書を送った。だが、いつまで待っても返事は来ない。業を煮やした田原は夏休みに事務所を訪ねてみることにした。ジャニー喜多川氏に直談判することにしたのだ。「行けばなんとかなると思っていた」と著書で振り返っている。
東京は小学校の修学旅行以来である。事務所に押しかけると、秘書が「ジャニーさんは有楽町の日劇にいる」と教えてくれ、さっそく会いに行った。
この無邪気で無鉄砲な行動が功を奏した。ジャニー氏はいろいろ質問したあと、「毎週日曜日だけでもいいからレッスンに来なさい」と言った。研修生として採用されたのである。田原に光るものを感じたに違いなかった。レッスンを終えると、ジャニー氏は毎回、中央本線で甲府に帰る田原を新宿駅のホームまで見送ってくれた。
だが、デビューまでの道のりは長かった。高校を卒業しても、まだ中ぶらりんのままだった。卒業から3カ月後、ようやく「3年B組金八先生」のオーディションに合格。放送が始まってまもなく、中3を演じる田原は19歳の誕生日を迎えた。


















